企画記事
あえて4Gamerで紹介する,ボードストラテジーゲームの世界
都内の一室で,世界の運命を決めてみるテスト
当サイトの読者のなかでも,ストラテジーゲーム全般に詳しい人には「何をいまさら……」とお叱りを受けそうだが,そうでない大多数の人のために,ここで確認しておこう。ボードストラテジーゲームは“死んで”などいない。徳岡氏と切込隊長の対談でも引き合いに出されたとおり,カードドリブンシステムはいまこの瞬間にもボードストラテジーゲーム界に旋風を巻き起こしており,いままでの手法でうまく再現できなかった,例えば政治的要素を含む複雑な様相の戦いを表現できるシステムとして,さまざまな応用が試みられている。
ストラテジーゲームといえばいまのところPCの作品しか念頭にない人であっても,ボードゲームの世界でどんな題材,どんな手法が新境地を切り拓いたのかを知っておくことは,決して無駄でないと思う。実際,「Twilight Struggle」が扱う題材(=米ソの冷戦全般)を「Twilight Struggle」以上にうまく料理したPCゲームを,私Guevaristaは知らない。まったく違う手法でアプローチしたクリス・クロフォード氏の「バランス オブ パワー」くらいしか,語るに足る作品が出ていないのではないかと思う。
そんなわけで,ゲームの概容とプレイ風景のちょっとしたレポートをお届けしたい。
史実がぎっしり詰まったカードで東西冷戦を再現
ある国に政治的な影響力を投下したり,敵のそれを低下させたり,クーデターでひっくり返したりするには,すべてカードを使う。両プレイヤーに配られたカードには,政治的影響力の数字と起きるイベント(それぞれ名前と,特有の影響を持つ)の両方が書かれており,プレイヤーはこれを数字として使うかイベントとして使うか判断しながら切っていく。総じて,イベントとして使ったほうがプレイに大きな影響が出,例えば「フィデル」イベントが実行されると,キューバに対するアメリカの影響力がすべて失われ,そこにソビエトの政治的支配が確立するといったことになる。
そうした,使いたくないカードを放流できるのが「宇宙開発」トラックだ。一応プレイへの影響はあるものの,このトラックはむしろ宇宙開発が,冷戦における軍拡競争の副産物として進んだことをまざまざと見せつけてくれる,皮肉な味付けという意味合いが強い。
「宇宙開発」トラックでは捨てられる数字の下限が決まっていて,小さなカードほど捨てにくい。この下限は,開発が進むにつれて引き上がっていく。両プレイヤーは交互に必ず決まった回数のカードプレイを行わなければならないが,どうしてもプレイしたくない大物カードは宇宙に「投棄」できるというわけだ。
とはいえ,カードの数値は小さいがイベントは影響甚大だったりすることも多いし,宇宙開発の回数はターンごとに限界が定められている。結果として,「このカードを切るとNATOが結成されちゃうんだよなあ……」「ここでこの数字を使いたいけど,キューバ革命と引き換えかあ……」と,歴史的なのか非歴史的なのか分からない予定調和なジレンマに,両陣営のプレイヤーは悩まされることになる。
例えば「オリンピックの開催」イベントが実行され,相手プレイヤーが無事参加を表明すれば高確率で開催側の勝利ポイントとなるが,ボイコットされればデフコンが危険方向へ動く。その結果デフコン1に達したら,負けるのはボイコット側でなく開催側だ。国際情勢が緊迫しているとき,相手の友好度を試すような冒険に出るほうが悪いのである。
両プレイヤーが使うカードは前期/中期/後期に分かれており,ゲームが進むにつれて後者のカードを追加/シャッフルし,山札を築き直すことになる。これには各イベントの勃発時期とインパクトをある程度調整する働きもあるが,実はもっと深い仕掛けが隠されている。カードには,一度使われたあと再利用されるものとされないものがあるのだ。
政治的な大事件の多くは一回性のものだが,例えば反共ラジオ放送であった「Voice of America」のカードなどは使われても山札に戻り,使われるたびにソビエトから遠い非欧州共産主義諸国を動揺させる。西側からの継続的な情報攻勢が,ソビエトの支配に重大なダメージを与えていった様子が再現されるわけだ。
とまあ,皮肉な事態を大まじめにシステム化したこのゲームをプレイしたのは,おなじみ徳岡正肇氏と,「ハーツ オブ アイアンII」の書籍にコラムを寄稿した桂 令夫氏。徳岡氏がソビエトを,桂氏がアメリカを担当することになった。
まず,ソビエトはヨーロッパに揺さぶりをかける。「ドゴールがフランス大統領に就任」といった,ヨーロッパからアメリカの影響力を除去するイベントを連発。イタリアでのクーデター工作も絡めて,アメリカにヨーロッパでの対決を強要する。
その傍ら,「フィデル(キューバ革命)」「スエズ動乱」などのイベントでアメリカのお膝元をも揺るがす。アメリカは後手後手に回らざるを得ず,結果としてソビエト有利の状況でVP集計が行われるシーンが頻発した。
むろんアメリカとて,なんの抵抗もしなかったわけではない。「ナチスの研究者を捕獲」といったイベントを通じ,宇宙開発競争ではソビエトを一歩も二歩もリード。さらに,一時的な優位をソビエトと争うことを避け,長期的な基盤育成に集中していった。「肉を切らせて骨を断つ」戦略である。
ソビエトもそのことは理解していて,ゲームが中盤に入ったあたりで大きな岐路に立たされることになる。このままアメリカをスチームロールしてサドンデス条件を充たすのか,それともアメリカの政治的基盤を崩しにかかるか。前者を選んで成功すれば直ちに勝利,失敗すれば確実な敗北である。一方後者を選べば,勝負の行方は最終ターンまで分からない。
まずターン開始時の「イベント適用フェイズ」(ここだけ両プレイヤーがカードを伏せて盤面に置き,同時にイベントを適用する)で,ソビエト側はわざと自国が不利になるイベントを選択,これに対してアメリカは「ソビエトのイベントカードを無効化する」カードを使用していた。アメリカはサドンデスの危機に瀕しており,大量のVPを獲得できるカードを使用された瞬間にゲームが終わってしまう以上,その阻止を優先せざるを得なかったのである。
アメリカの思惑を出し抜いたソビエトは,一手番だけカードプレイを行ったあと,「泥沼(ベトナム戦争)」をアメリカに叩きつける。ベトナム戦争の影響下にあるアメリカは,手番ごとに一定以上のポイントを持ったカードを捨てなければならない。サイコロを振って66%の確率で戦争を終結させられるが,それに成功するまで通常のカードプレイはできない。一手番だけカードプレイを行ったのは,アメリカプレイヤーに失地を回復させる有用なカード(つまり高ポイントカード)を使わせることで,ベトナム戦争を止められるだけのポイントを持ったカードをなくしてしまおうという,これまた国際世論の裏をかくトリックである。
ベトナム戦争の泥沼は,悲惨なダイスの出目も手伝って,みるみるアメリカの国力を吸い取った。このターン,アメリカの手札は相当に素晴らしいものだったが,そのほとんどを泥沼のベトナムに持っていかれてしまったのだ。
あああ,こんなにベトナムに深入りする予定では……。
アメリカがかろうじてベトナムの泥沼から抜け出したところに,ソビエトから追い討ちがかかる。「ベルリン封鎖」イベントである。このイベントは,アメリカプレイヤーが一定ポイント以上のカードを手札から捨てないと,西ドイツにおけるアメリカの影響力が消滅するという恐ろしいもの。劈頭で失地回復のため良いカードをプレイしたうえ,ベトナムの泥沼に手札を消耗させていたアメリカは,これを妨げる手札を持たなかった。
次のターン,ソビエトはいよいよ“寄せ”に入る。前のターンの猛攻の甲斐あって,このときソビエトのVPは19点。あと1点獲得すればゲームは終わりである。そしてこのときソビエトにはVPを獲得する手段があった。宇宙開発である。ソビエトは宇宙開発を2回試みられ,それぞれの試みは50%の確率で成功する。2回の試行のうち,1回でも成功すればソビエトはサドンデス勝利だ。
だが,この勝率75%の賭けに,あろうことかソビエトは敗北する。
うぉぉ,コロリョフ(ソビエト宇宙開発の最高責任者)めぇぇ! でもターン数から考えると,ちょうどコロリョフが死んだ頃か……。
まるまる2ターンをサドンデス勝利のためだけに費やしたソビエトが,アメリカを押し切れなかった段階で,もはや勝機は失われていた。ソビエトの影響力は世界のあちこちで寸断され,例えばタイをめぐる激しいクーデター合戦など,抗戦の意思を示すことだけは止めなかったが,勝負の行方は明らかだった。
「Voice of America」は第三世界におけるソビエトの影響力を削ぎ落とし,「ヨハネ・パウロ2世の法王就任」によってポーランドが離反,「東欧諸国の動揺」で東ヨーロッパ全体からソビエトの支配力が滑り落ちていった。
ソビエトは「OPEC」「南アメリカでの多重債務」といったイベントを通じてVPと影響力の回復に努めたが,それはアメリカのサドンデス勝利を食い止めるという意味しか持っていなかった。ボード上に築かれたアメリカの優位は覆しがたく,カードプレイだけで巻き返すのは不可能だ――しかもゲーム後半に入ると,カードもアメリカ有利な内容にシフトしていく。
結果,最終ターンを迎えた段階でアメリカのVPは19。ソビエトは実に38点をひっくり返されるという失態を見せたが,第6ターンにはアメリカが敗北寸前だったことに鑑みれば,どちらも世界に醜態を晒し続けた冷戦そのものだったといえるかもしれない。
ゲームプレイの技術面から論評すると,「マジック:ザ・ギャザリング」でカードプレイを鍛えた経験のある徳岡氏のカード捌きと,歴戦のシミュレーションゲーマーである桂氏の盤面捌きが激突するという,ある意味,カードドリブンシステムらしい展開だったといえる。
また,そういった純粋にゲーム技術的な激突が,きちんと冷戦の歴史を感じさせる展開を生んだことは,たいへん興味深い。普通,ゲーム的なテクニックが激突すると,どうしても歴史性はどこかに吹き飛んでしまうものだ。両プレイヤーが,ぜひまたプレイしてみたいと語っていたのもむべなるかなである。
以上が「Twilight Struggle」のリプレイだ。勝つためのゲーム理解はそれなりに要求されるものの,複雑な判定と特殊ルールの山がリアリティの指標と信じられてきたヘックスゲームの伝統とは,一線を画すものであることが分かるだろう。カードの引きとサイコロの目という二重の不確定要素も,ベテランとビギナーの差を絶望的に開かせない点で独自の意義があると思う。そもそも,競争が量的側面に終始しないので,現在劣勢な側も最後まで勝ちを狙うモチベーションを保てる。それがこのゲームの卓越点なのだ。
根絶しがたいテロリズムという病が世界を蔽う
マップはまたも世界地図。各プレイヤーはお金を払ってマーカーを置くことで大陸ごとに支配を固めていき,それがその時点での勝利ポイントとなる。北米など大きな大陸で4点,勝利に必要なのが10点なので,マップ支配だけで勝とうと思ったら,世界の半分くらいを手にする必要がある。
ただし,支配マーカーは払うコストに応じて3段階あり,最高段階のマーカーをどこかの地域に置ければ,これは単体で1勝利ポイントになる。大陸支配とマーカーの両方を使って10点を目指すのだ。
自分が勝つために相手を引きずり下ろすのは,競争ゲームの宿命である。前向きな支配を妨げる道具として,このゲームでフィーチャーされているのがテロリストだ。支配マーカーはすでに支配したエリアの隣接地にしか置けないのに対して,テロリストはどこにでも置けるうえ,たいへん安価である。テロリストにも3段階の規模があり,同等以上のテロリストがいる地域では,支配マーカーのアップグレードができなかったり,収入が得られなかったりする。
このゲームの“黒さ”はまだまだある。各プレイヤーは手番の最初でサイコロを用い,そのターンの行動回数(カードプレイは含まない)を決めるのだが,このサイコロには数字のみならず,「ルーレットを回せ」という指示も含まれている。ルーレットを用いて決めるのは,誰が「悪の枢軸」か,という事柄だ。「悪の枢軸」プレイヤーは,通常のカードの代わりに「テロリストカード」を引くことになるのだが,これがまた,凶悪な内容揃いである。
ちなみに「悪の枢軸」はルール上1勢力だけであるから,どこかで自分が通常勢力に戻れることが多いわけだが,その際「テロリストカード」を手放す義務などない……。このあたりに,このゲームのどこまでもシニカルな世界観が表明されているわけだ。
またこのゲームでは,財政的に破綻したり,マップ上に支配マーカーが一つもなくなったりしたプレイヤーが自動的にテロリストに転落するほか,自ら宣言してテロリスト化することも可能だ。そうなった場合,各大陸にテロリストをばらまいて,かつ大陸内の通常支配マーカーをすべて排除することで,テロリストによる支配が成立する。状況によっては,この方法で勝つことも可能なのだから恐ろしい。
さて,こちらは鈴木銀一郎氏と,4Gamerスタッフ2名を含む4名でゲームがスタートした。序盤こそ各自最寄りの大陸を固めることに腐心していたものの,誰かがテロリストの配置と利用を開始するや,世界は瞬く間に黒いテロリストマーカーに覆われていく。テロリスト勝利を仄めかして協力を促すプレイヤーに,華麗な裏切りを見せた鈴木銀一郎氏の支配地域に,今度は核攻撃が行われたりと,シッチャカメッチャカになった世界の運命を決めたのは,結局そのプレイヤーと組んでテロリスト化を宣言するプレイヤーの登場だった。
……なんというか「テロルは安価で有効な手段だが歯止めが利かず,依存しすぎれば利用目的そのものを破壊してしまう」という,言われてみればごもっともな感じの教訓を,肌身で思い知らされるようなゲーム展開だった。シリアスゲームの定義はさておき,ゲームプレイの効用を事後的に定義してよいならば,このシンプルなゲームには間違いなく,世界に関する想像力を涵養する要素がある。そしてそれは,多くのボードゲームが声高に語ることなく持ち続けてきた美点でもあるのだ。
社会とゲーム,そのデザインをめぐる堂々廻り
例えば「なんの予備知識もなく楽しめるのが良いゲームだ」という立論自体は,まったく間違っていない。ことに,より広い市場を捉えることを考えたとき,その重要性は疑いのないところだ。
しかしそうした思潮が「予備知識を必要とするがゆえに独自の楽しみ方ができるゲーム」を駆逐することにつながるなら,それには断固異議を唱えたい。知識/認識を必要とするゲームであるからこそ,プレイを通じて新たな認識が結実する……そういったケースは多々あるからだ。もちろん,何も知らない人が楽しんでいくうちに認識を深められるならば,それが理想なのだけれど。
同じように,誰かがゲームからことごとく血なまぐさい要素を排除しようとするならば,これもやはり批判すべきだと思う。もちろん,個々の作品がその目指すところに従って,流血を排除するのはかまわない。しかし,そうした意思をもし普遍化したら,ゲームはますます社会と対話できない存在へと逼塞していく。「面白いならいいじゃないか」と言われても,それはどうにも面白いように思えないのだ。
良きにつけ悪しきにつけ,ボードゲームは社会と対話してきた。そしてプレイヤーのモチベーションを下げる小難しいルールをなんとかして克服し,かつ表現したい主題を維持しようとする努力から,より透徹した抽象化手法が生まれてきた。カードドリブンシステムは,その一つの到達点と考えてよいだろう。ボードゲームのプレイだって,処理手続きよりも主題に沿って頭を使うほうが良いに決まっている。
この記事に目を通した読者のみなさんが,ボードゲーム自体に目を向けるか,ボードゲームとコンピュータゲームの共通点や相違点に思いを致すかは,まったくの自由だ。しかし,後者の論点に沿って言うならば,そろそろコンピュータ側に“手段の使い回し”に留まらないコンセプチュアルなアプローチが欲しいというのが,偽らざる感想である。
ボードゲーム側の取り組みが,新しく使い回せる(笑)コンセプトの立案に向けたヒントになってくれたら……というのが,こんな記事をわざわざ書いてみる動機だったりするのだ。
ところで,ご存じの人はご存じのとおり,鈴木銀一郎氏が教鞭を執るDigital Entertainment Academy(DEA)は,今年度いっぱいで閉校の運びとなる。大学全入時代を控え,今後専門学校という立ち位置で本領を発揮し続けることは難しいという判断が理由らしいのだが,日本ゲーム界の生き証人たる氏の手ほどきを受ける機会が閉ざされるのは,なんとも寂しいことだ。
氏にことわりもしないで書いてしまうのだが,ゲームデザインやゲームスタディに力を入れようとしている高等教育機関にとって,これは一つの機会でもあると思う。氏にはぜひ今後も,持ち前のセンスと経験を生かして後進を導いてもらいたいと,僭越ながら思っている。
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