インタビュー
そもそも表現というのは,全部タイムトラベルなんですよ――「タイムトラベラーズ」の原点は,「時をかける少女」にあり!? 大林宣彦監督の思想にイシイジロウ氏が迫る
選択やコントロールという形で物語に介入できるゲームは
映画とは違う場所に主観がもう一つある(イシイ氏)
4Gamer:
これまでのお話をうかがっていると,大林監督がゲームにさほど関心を抱かないできた理由も,何となく分かるような気がします。映画のようで映画ではないものって,ゲームもある意味でそういうものだと思いますし。
映画でゲームを楽しんでますから(笑)。
それに僕がゲームのことを相談されたときは,映像という情報をどういじくるかで,ごっこ遊びができるという話だったんですけど,そこに反発したんですよ。
映像というものがその背後に持っている物語性に注目して,絵が消えたときに生まれる想像力を取り込まないとダメなんじゃないかって。映像というのはそれだけでは客観的な情報に過ぎなくて,それを用いてどうすれば主観的な物語を描けるかを考えないと……という話をしていたら,うまく理解してもらえなかったみたいなんですよね(笑)。これは,決して哲学ではなくて技術論なんですよ。
イシイ氏:
主観とは何か? という問題は,最近ではだいぶクリアできるようになってきたのかなと思います。技術も進みましたし,クリエイター達が長年切磋琢磨を繰り返してきましたから。
ゲームはとくに,選択やコントロールという形で物語に介入できるので,映画とは違う場所に主観がもう一つあるんですよ。
4Gamer:
物語の主人公の気持ちになるのと同時に,それを操る側の人格も持っているわけですし。
イシイ氏:
ただ,大林監督が相談を受けた頃に,そこまで分かっている人はおそらくいなかったと思うんですよね……。
大林監督:
僕からすれば,映画にできないことをやればいいんじゃないか? というだけのことなんですけどね。
例えば遊びで血液型による映画談義をしてみましょうか。映画の場合,血液型がB型のシナリオライターが書いたものを,A型の監督がO型の俳優に演じさせると,どうしても無理が出てしまうんです。だから僕は,キャスティングが決まってからも,俳優の血液型や出身地を聞いてセリフを変えたりするんです。じゃないと俳優も「僕ならこの場面でこう動くのに」と思いながら演じることになるから,無理が生じて不自然になってしまうわけ。どうです! これは人間に演じさせる工夫,すなわち演出の一つの配慮です。
4Gamer:
その場合,もともと想定していたものと違う映画になってしまわないんですか?
大林監督:
なってもいいんですよ。それより,自分の気質や性格と違うことを要求されるという,とても不自由なことから離れられますから。虚構で仕掛けてドキュメンタリーで撮るのが,劇映画をうまくやる一つの手法。人間は人形じゃないから。
ゲームの場合なら,プレイヤーという人間がが主人公の血液型を選べるようにしておくとしましょう。A型のプレイヤーがA型の主人公を使うと,とてもストレスなく物語が進んでいくんだけど,B型の主人公を使うと主人公がプレイヤーの予想を裏切るようなことばかりするとか,そういうことまで組み込んでみたら? なんて言ったんですよね。こういう形であれば,映画にはできない新しいドラマや,人間の心理が描けるものになるんじゃないかというのが,ゲームに対する一番の期待だったんです。人形がやるゲームじゃない。
イシイ氏:
大林監督がおっしゃったようなことを,大林監督から直接聞いたわけじゃないのに,僕らは時間をかけて少しずつ実現してきたような気がします。
大林監督:
当時は,こういうことができないんだったら,僕はゲームを作ろうとは思わないと言ったんですよ。それだったら,僕は映画でゲームを楽しむから十分なんだしって。
「時をかける少女」が愛されたのは
お客さんが原田知世とゲームをしたから(大林監督)
僕の場合は逆に,“映画的なゲームを作る人”と言われたりします。「結局,映画を作りたいんですか?」と聞かれるんです。でも僕はゲームって,プレイヤーが主人公と監督の両方を体験できるところに面白さがあると思っていて,これは映画にはできないことだと考えているんですね。
例えば,主人公の思いに反する行動をプレイヤーがすると,結果,主人公が「神様なんで?」というようなことをプレイヤーに向けて問いかけてくるようなドラマが,ゲームでは模索されているんです。2000年代のアドベンチャーゲームシナリオにおける一番のテーマが,これですね。そして最近では,こうした手法やその他のゲームで生まれた文法が,アニメや映画で逆に取り入れられたりするようになってきました。
なので本当に,大林監督が予言されていた通りになっていると思います。
大林監督:
予言というか,僕はそういうことを実行してきただけで,その経験を話したに過ぎないんですよ。
例えば,時をかける少女が,あそこまで若い人達に愛されたというのは,お客さん達がみんな,原田知世とゲームをしたからなんです。
イシイ氏:
僕もその一人かもしれませんね。詳しく教えてください。
大林監督:
さっきも話したように,それまでの「映画」だったら,和子と深町を7:3で撮りますから,観客は和子を7,深町を3で物語を観たはずなんです。でも時をかける少女では,和子がほとんどレンズ目線で話しているんですよ。ということは,観客が10で和子が0になったり,観客が5で和子が5になったりするんです。
だから,多くの観客は知世が演じる和子に恋をしたんですね。しかも,恋の仕方がみんな違うんです。俺が愛した知世と,君が隣で観た知世は違うが,俺の知世のほうがいい,なんてね。
これが,僕のいう“映画のゲーム”なんです。映画にはもともとこういうゲーム性が備わっているんだから,ゲームはこれを超えないと,魅力がないよ……ってね。A型の観客とB型の観客とは同じ知世を別の少女として感じている。つまり血液型というより,人それぞれであり,故に自己発見のために映画を観る。ゲームをやる。
イシイ氏:
確かに当時の時をかける少女の原田知世さんは,「ラブプラス」以上に世の男の子達を夢中にさせましたから。
大林監督:
映画ではね,視線を一つ変えるだけで全然違う意味が生まれてくるんですよ。
以前,「姉妹坂」というベストセラー漫画を原作にした映画を撮ったんですが,これには二組の恋人達が出てくるんですよ。原作やシナリオに忠実に撮ると,これは普通の商業映画になるはずでした。だけど映画では,恋人同士の男女ではなく,恋人ではないはずの男女が,いつも目を合わせているんです。
だからシナリオとは違うんだけど,恋人じゃない男女が恋し合っているという映画になっているんです。
4Gamer:
視線の演出だけだと,気付かない人もいますよね……?
大林監督:
そう。気付かない人は,よくある商業恋愛映画だと思うんです。でも,気付いた人は,この映画をメチャクチャ好きになってくれました。自分だけがこの映画と違うドラマを観ているんじゃないか? って思うわけだから,感情移入の度合いが変わるわけですね。
4Gamer:
ある種,見てはいけないものを見てしまったような緊張感も生まれます。
大林監督:
これも実にゲーム的でしょう。自己を発見する(笑)。
二人の主人公がそれぞれレンズを見てしゃべるから
観客はその渦の中に巻き込まれていく(大林監督)
4Gamer:
そういえば,この空の花を見たときにも,登場人物がレンズのほうを向いて語りかけてくるシーンに驚かされました。
大林監督:
レンズ目線は,映画では基本的にやっちゃいけないことなんですよね。ただ,例えば「独裁者」の最後では,チャップリンがレンズ目線で語ります。黒澤 明の「素晴らしき日曜日」の最後でも,レンズ目線で話します。あれはつまり,観客を見ているんですよ。だから観客は,自分に語りかけてきていると感じるんです。演劇では何の不思議もない演出ですよね。
で,この空の花の場合は,二人の主人公がそれぞれレンズを見てしゃべるでしょう。これによって観客はその真ん中に入っちゃうんです。7:3の角度で客観的に描いていたら,見た人は「よく分からないし,僕には関係ないや」となってしまう。
4Gamer:
確かに,映画を見ているだけのはずが,途中から当事者のような気持ちになってしまいました。
……それにしても,レンズ目線のお話が,先日イシイさんに取材をしたときのお話(関連記事)と完全に重なっていますね。驚きました。
イシイ氏:
「映画ではあまり使わない演出」なんて言ってしまったんですけどね(笑)。
でも,まったくそのとおりで,プレイヤーに当事者意識を持ってもらうために,あえてプレイヤーを挟んだようにするレンズ目線でのカット割りは,僕もあちこちで使っているんですよ。
4Gamer:
先ほど否定されましたが,やはりどこか大林監督の作品から影響を受けて,イシイさんがそういう手法をとるようになったということなんでしょうか……。
イシイ氏:
映像表現に関しては影響を受けていないと思っていたんですけどねぇ(笑)。
ゲームを作るうえでどういう表現をするべきかと考えてきた結果,大林監督と同じ表現を,同じ理由でしていたというのは,凄い偶然ですね。ちょっと驚いています。
4Gamer:
大林監督が,映画のフォーマットでゲームを楽しんでいたというのも,これに通じる話ですよね。
それにしても,この空の花を観ているときの当事者感覚には凄いものがありました。
この映画は,3.11(東日本大震災)のあの切羽詰まった混沌を,あえてそのまま観客に放り投げているんです。だからストーリーが分かるか? というと,一度や二度じゃ分からないかもしれないし,人によっては10回ぐらい観ても分からないかも知れません。だけど,ストーリーが分かるかどうかよりも,渦の中に巻き込まれてほしいというのが狙いだったんです。
だから,主人公二人の真ん中に入ってもらう……つまり,映画の中に参加してもらえると,切羽詰まった気持ちだけでついてきてくれるんですよ。
4Gamer:
ストーリーだけでなく史実の情報量も非常に多く,しかもスピーディに描かれているので,一つ一つをかみ砕いて納得するような暇がないんですよね。だから,とにかく不安とも何ともいえない気持ちでスクリーンから目が離せなくなりました。
大林監督:
一度そうなるとね,あの体験が何だったのかを確かめるためにもう一回行こう,今度は誰かを連れて行ってまた観よう,となるんです。
それがうまくいって,この映画を何度も繰り返し観てくれた人が大勢います。そして,観る度に別のところが面白くなったと言ってくれるんです。
4Gamer:
とにかく観客を映画の真ん中に置いて,何かを感じさせることに注力したわけですね。
大林監督:
そう。あの3.11の中に俺もいるし,この映画の中にも俺がいるから,この映画と一緒に生きてやろう,みたいな。だからこの映画って,宣伝費も何もない自主上映ですけど,観てくれた観客がTwitterなんかで「お前らも参加するんだ」という形の宣伝をしてくれたんですよ。
観客が一人の人間として,今,劇場でこの映画を観るのが一番自然なんじゃないか,参加するべきじゃないかという気持ちをかき立てられたと思うんですよね。でもそのための仕掛けは,目線だけなんです。
イシイ氏:
この映画はもともと,太平洋戦争末期の長岡空襲と中越地震の慰霊と復興のための長岡花火を描こうというものだったそうですよね。ところが,制作途中で3.11が起きてしまって……そのとき,どういうお気持ちだったんですか?
大林監督:
世間は大混乱でしたけど,実は僕の中ではまったく混乱していないんです。というのも,“映画とはつじつまが合った夢”だと僕は思っているんです。
現場では偶然のようなことがたくさん起きているように感じても,あとで考えると,非常につじつまが合っていて,運命的な必然になっていて。
例えばね,映画に南相馬の少年が出てくるんだけど,彼にはモデルがいるんですよ。そこで映画ができてから彼の里をたずねていくと,その子が通っていた学校は閉校になっていて,先生が福島に引っ越したというから,そこに追いかけていったんです。
4Gamer:
……。
そうしたら,行った先の子ども達が校舎の瓦礫に花を書いているんですよ。僕らにとってはただの瓦礫なんだけど,彼らにとっては愛おしい校舎のかけらだからね。校舎のタイルや絵の模様が残っているところに,男の子までが花の絵を描いているんです。悲しみをしっかり記憶しながら,再びこの校舎で勉強できる自分達を思い描きながら。そうやって,ガイガーカウンターが鳴り止まないようなところで,ちゃんと生きて暮らしているんです。
それを見て,映画とこの瓦礫をパックにして全国を回ろうと決めたんですね。そして先生に手紙を書こうと思って,もらった名刺を見て驚いたねぇ……。
住所が福島県福島市で,最後が字元木。つまり,元木の花がれきなんですよ。僕がなぜ,映画のヒロインに元木 花という名前を付けたのかは分からないんだけど,つまりはこうしてつじつまが合っちゃった。“上の人”の仕掛けです(笑)。
4Gamer:
決してオカルト的な話しではないですが,何か見えない力がはたらいていたとしか思えない話ですね……。
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