イベント
多数のファンがソニックの生誕20周年を祝いにお台場へ集結。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ20周年記念展 バースデーパーティー」レポート
そして今年末には,「ソニック ジェネレーションズ 白の時空」(PlayStation 3/Xbox 360),「ソニック ジェネレーションズ 青の冒険」(ニンテンドー3DS)という,20周年を記念する2作品のリリースが予定されている。
そんなソニックの20歳の誕生日を祝うべく,6月18日,お台場の東京ジョイポリスにおいて「バースデーパーティー」が開催された。これは,6月11日〜7月10日まで同会場で行われている常設展「ソニック・ザ・ヘッジホッグ20周年記念展」の一環として開かれたもので,これまでソニックシリーズの開発に携わってきたスタッフ陣のトークセッションや,ソニックジェネレーションズ2作品の試遊会などからなる,ソニックファンにはたまらないイベントとなった。
公式サイトで応募し,当選したファン約100名がジョイポリスVステージの特別観覧席を埋め尽くしたほか,落選してしまった人も,後方や上階の席でイベントを楽しんでいた。
イベントがスタートし,早々にステージに招かれたのは,ソニックシリーズの生みの親,そして育ての親でもある3人の人物。現プロペ代表の中 裕司氏,アーゼスト副社長の大島直人氏,そして現在のソニックシリーズ全般を手掛けるセガのプロデューサー,飯塚 隆氏だ。
ソニック20年の歴史を振り返るトークセッション
中氏,大島氏の「合流」が実現か?
3人の発言で共通していたのは,ソニック1が登場した頃生まれた子供が成人するほどの時間が経った今もなお,これほど多くのファンに支えられていることを本当に嬉しく感じるということだった。
続いてトークは,「ソニック・ザ・ヘッジホッグが生まれるまで」というテーマに。中氏は,当時不動の地位を得ていた,ヒゲを生やした人気キャラを操作するとき,Bボタンを押すことでダッシュする方式がどうしても気に入らなかったことを明かした。
そこでソニックを開発するにあたって,最初はゆっくり走り出し,徐々にスピードが上がって最終的にものすごい速さになるという仕組みを採用。ただし動きが非常に速く,思わぬ事故を起こしやすいことから,難度を緩めるため,リングを1個でも持っていればミスにならないという仕様に決めたのだそうだ。ファンなら知ってのとおり,これは現在のソニックシリーズ作品にも受け継がれている仕様である。
次に3人は,「ソニック・ザ・ヘッジホッグ2」(1992年11月発売)の開発を振り返った。この作品は,ソニック1が大きなヒットを飛ばした北米地域のパブリッシャ,Sega of Americaからの要請で開発することになったそうだ。
開発陣は本作で,2人同時プレイの実現にこだわり抜いた。中氏によれば,サンフランシスコで3か月間以上,そのためだけにプログラムをいじっていたという。そのような苦労の末誕生したのが,ソニックの相棒「テイルス」なのだ。
それによると,当時のセガ役員の一人が音楽業界でも活動しており,その人が携わってきたアーティストを起用できないかという話になったことが発端とのこと。加山雄三氏(!)など,数名の候補が挙げられた中,中村氏に白羽の矢が立てられたが,当時の開発スタッフ達はドリカムの存在を知らなかったそうだ。
その後,中村氏に会うために年末に開かれたコンサートの会場へ足を運んだ中氏は,ドリカムの人気の高さに驚いたという。
セガはその後,ドリカムのコンサートツアーのスポンサーを務め,パンフレットや,機材を運ぶためのトラックなどにソニックのイラストがデザインされた。大島氏は,「ソニックは最初のうち,社内でも子供向けキャラクターと考えられていました。大人にも親しまれるキャラクターとして定着したのは,ドリカムのおかげです」と述べた。
ソニック・ザ・ヘッジホッグ2の開発が進められていた頃,大島氏はメガCD版「ソニック・ザ・ヘッジホッグCD」(1993年9月発売)を制作していた。
大島氏はもともと,中氏に続いて渡米する予定だったが,会社からソニック・ザ・ヘッジホッグCDの制作を要請され,日本に残った開発スタッフと共に手がけることになったのだ。
容量の大きいCD-ROMが本作のメディアに採用されたことから,ムービーを盛り込むことが決まり,ソニックシリーズ初のアニメーションが制作された。
中氏や大島氏がとても大きな影響を受けたというアニメの制作会社にほとんどすべて任せたところ,開発スタッフ陣も驚くほどソニックらしいアニメに仕上がったとのこと。このアニメの存在や,中氏が関わっていないということから,ソニック・ザ・ヘッジホッグCDはやや異色のタイトルといわれている。
続いて3人は,メガドライブ最後のナンバリングタイトルとなった「ソニック・ザ・ヘッジホッグ3」(1994年5月発売)の開発を振り返った。
高速アクションにプラスして2人同時プレイを実現したソニック2以上の内容にすべく,ソニック3ではカスタムチップを用い,ポリゴンでソニックを表現することを目指していた。
しかし開発が難航したうえ,提携していたマクドナルドのハッピーミールの発売に間に合わせる必要があったため,ポリゴン化は断念。従来の2Dグラフィックスで作り直し,当初予定の半分ほどしかストーリーが入っていない状態でソニック3を完成させた。
ストーリーの続きは,同年10月に発売された「ソニック&ナックルズ」に収録されており,同作のカートリッジにソニック・ザ・ヘッジホッグ3のカートリッジを装着することで(ソニック&ナックルズには「ロックオンカートリッジ」と呼ばれる機構が採用されている),一続きのストーリーがプレイできるようになっている。
中氏は,「当時,新人だった飯塚をアメリカに送り込んで作ってもらいましたが,それが本当に良かった。彼がいなかったらソニック3はなかったし,ソニックの魂を当時から現在にかけて受け継いでくれていることも,良かったと思っています」と振り返っていた。
メガドライブ,サターンと続き,さらにドリームキャストが登場した頃,ソニックの正規シリーズが開発されていない時期があり,このソニックアドベンチャーはセガが満を持して進める一大プロジェクトとなる。一時期に開発に携わったスタッフの数は,最大で120人以上に上るという。
また,ゲームミュージックの雰囲気を大きく変更することも本作のコンセプトになっており,瀬上氏が得意とするロックを中心とした楽曲が採用されたほか,それぞれのキャラクターのテーマ曲も制作されている。
開発スタッフ陣は本作で,ソニックに言葉をしゃべらせるべきか非常に悩んだという。これまで,一切言葉を発したことがないソニックが話をすることに抵抗を感じていたものの,洋画の吹き替えを行っている音響ディレクターに収録を依頼するなど,こだわりを持って制作した。その結果,スタッフ全員が納得のいくボイスに仕上がったとのこと。
現在のソニックの音声も,当時と同じくらいこだわりを持って制作されているそうだ。
開発スタッフ陣によるトークセッションはここで時間となり,中氏,大島氏,飯塚氏の順にファンへメッセージを贈った。
「最初はセガのハードだけで走ってきたソニックですが,その後さまざまなハードで発売されてきました。そのたびに,自由自在にいろんな場所を走り回れるようになり,より多くの人に愛されるようになりました。これからも,ソニックは30年,40年と走り続けていくでしょう。ぜひ,これからもソニックを支えていただければと思います。僕もまたいつかどこかでご一緒できればいいなと思っています」(中氏)
「ソニックというシリーズは,中さんや飯塚をはじめとするスタッフみんなの想いが詰まった作品です。これからもぜひ応援してください。僕も中さん同様,今後何かお手伝いできればと思います。無償で!」(大島氏)
「今年,ソニックシリーズの生誕20周年を迎えますが,ここからさらに10年,20年と作品を作り続けていくことで,皆さんが,子供や孫と世代を超えてソニックの話ができるように,これからもがんばって作っていきたいと思います」(飯塚氏)
具体的な新作の情報は出てこなかったものの,これからも長く愛されるシリーズを目指して作り続けていくことが宣言された。中氏や大島氏の「合流」もほのめかされており,シリーズファンの一人として大いに期待したいところだ。
ソニック・ジェネレーションズ2作品のプレゼンテーション
まず,片野 徹氏によって3DS版の「青の冒険」が紹介された。画面が3Dになったことで,とくにモダンソニックのステージでは奥行きを使った見せ方を意識しており,携帯型ゲーム機ながらも迫力のあるシーンを演出しているという。
「携帯型ゲーム機で活躍したソニックの歴史を,3DS上で体験できます」とは,プロデューサー飯塚氏の談。ニンテンドーDSなどで展開されてきたソニックラッシュシリーズなどを遊んでいた人には,その進化系を本作で体験することができるとのことだ。
ステージ名を聞いてピンと来た人は,ソニックシリーズのコアなファンだろう。これは,「ソニックアドベンチャー2」の最初のステージをモチーフにデザインされているのだ。
場所によって3Dと2Dが切り替わり,当時遊んだという人もさらに新鮮な気持ちで楽しめそうだ。圧巻なのは,ステージ後半の巨大なトラックがソニックを追いかけてくるシーン。来場者から「おおっ!」という声が挙がるほどの迫力で,トラックもなぜかノコギリを装備した凶悪な姿となり,執拗にソニックに迫ってくるのだ。
このように,これまでのシリーズ作品のステージを現代風にアレンジしたものが登場するなど,20周年を飾るにふさわしい内容となっている。
なお,この「白の時空」については20周年記念展が開催されている7月10日まで,東京ジョイポリス内に置かれた試遊台でPS3版を体験可能だ。さらに今回のイベントでは,それぞれのハード向けに体験版が配信されることもアナウンスされている。
ソニック・ジェネレーションズ体験版の配信が決定。配信開始日などは後日あらためて発表される予定 |
シリーズ生誕20周年記念アプリ「Sonic 20th Aniversary」が,iPhone/iPod touch向けに6月23日から期間限定で無料配信される予定だ。これは,ゲームをプレイしながらソニックの最新情報が得られるという内容 |
今回のイベントでは,ドリカムの中村正人氏からのビデオメッセージが流されたあと,中村氏がサウンドを手掛けたソニック1,およびソニック2のサウンドトラックが,今夏発売されることが発表された。
ソニック本編だけでなく,UFOキャッチャーのBGMとしても馴染み深い一連の楽曲のサントラ化が,20年越しで実現することになる。ゲームの収録曲はもちろん,中村氏によるデモテープ音源など,貴重なトラックも収録される予定だ。
中氏,大島氏,飯塚氏の合同インタビュー
イベント終了後,メディア関係者を集め,中氏,大島氏,飯塚氏の3人への合同インタビューが行われたので,お伝えしよう。
――ソニックシリーズは今年で生誕20年を迎えますね。皆さんはソニックのどんなところが好きか,一つずつ教えてください。
大島直人氏(以下,大島氏):
僕は,ソニックの失敗を恐れないところが好きですね。彼の思い立ったら行動するという生き方は,自分自身も憧れます。
中 裕司氏(以下,中氏):
彼はすごく速くて凄いことができるのに,意外にカナヅチだったりするところに親しみが湧きますよね(笑)。なんでもできるスーパーマンではないのが,好きなところです。
飯塚 隆氏(以下,飯塚氏):
私も中さんの意見に近くて,一方ではすごく格好いいところを見せてくれるんだけど,その一方でアニメやコミックになるとおちゃらけたり,可愛い部分を見せたりと,二面性があるところが好きですね。
――イベントの感想を聞かせてください。
20周年イベントなので,20年前からのファンが来ていると考えていました。そこでステージ裏では,ソニック1のときに明かしていない濃い話をしようと打ち合わせていたんです。ところが,ステージに上がってみるとお客さんがすごく若くて面食らいました(笑)。ソニックファンの世代が変わりつつあることを感じましたし,若い世代に広がっているのは嬉しいことです。
飯塚氏:
私自身,長い期間アメリカにいたこともあり,日本のファンと触れ合う機会があまりありませんでした。このようなイベントは,ちょうど10年前の「ソニックアドベンチャー2」の全国ツアー以来だったので,嬉しく思っています。
中氏:
そういう意味では,この席に大島がいるのがすごいことだよね。ソニックアドベンチャーのイベント以来かな?
大島氏:
人前に出るのはあまり得意ではないので,なるべく表に出ないように心がけていました。今回は20周年なので,特別に出ることにしたんです(笑)。
ソニック・ジェネレーションズ 白の時空の試遊台は,東京ジョイポリス5階のJステージに設置されている。自宅では実現が難しい大画面でプレイ可能だ |
メガドライブ時代の3作品や,ドリームキャストのソニックアドベンチャーも実機でプレイできる。なお,各作品は現在,Wiiのバーチャルコンソールや,Xbox 360のXbox LIVE アーケードなどで配信中 |
――これからは30周年に向けて走り出すわけですが,10年後のソニックはどうなるのか,予想あるいは抱負を聞かせてもらえませんか?
飯塚氏:
10年後となると,もう勝手な想像でしかありませんが,ソニックがゲーム以外のさまざまなメディアに浸透し,そういったところからファンになる人が増えてくれればいいと思います。
中氏:
あと10年で実現できるか分かりませんが,僕がソニックチームという会社を立ち上げたとき,「ソニックランド」というテーマパークの運営を目標に掲げていたんです。残念ながら僕はセガから離れてしまったので,その実現は飯塚君に任せます(笑)。
飯塚氏:
まずは,この東京ジョイポリスをソニック一色に染めましたからね。
中氏:
さっき僕も,展示されているすごく懐かしい資料を見ていたんですが,ああいうのはもっとたくさんあるので,それらを展示できる場ができれば本当に嬉しく思います。博物館のようなものができたら,定年後に館長をやりますよ!(笑)
――これまでに皆さんが関わったソニックシリーズの中で,とくにお気に入りの作品はありますか?
中氏:
僕はやっぱり,ソニック1ですね。あれがなければ,この20周年もなかったわけだし,いろんなシリーズを手がけた中でもやっぱり大きな存在です。自らプログラムを組んでいたということもありますし。
ソニックアドベンチャー以降はプロデューサー的な立ち位置でしたが,ソニック1〜3とソニック&ナックルズあたりまでは,プログラムの細かいところまで,ああでもない,こうでもないとやっていましたから。さっき大島と裏で話していたときに,「中さん,勝手に作って勝手にやってたじゃない」って言われたのがすごく面白かったんですよ(笑)。
大島氏:
僕も,好きなのはソニック1なんですが,思い出深いのはソニックアドベンチャーですね。あのときの僕は,どちらかというと縁の下側に入っていたんですが,とにかくいろいろと大変で,辛くて楽しかったことを覚えています。
中氏:
あんなにマスターアップに緊張したことはなかったよね(笑)。よく発売したと思いますよ。
大島氏:
僕がそのスタッフを切り盛りしていました。最後に飯塚とケンカしていたのを覚えてます? 「こんなのできるわけない!」って(笑)。
中氏:
もう,間に合わない!と思って,途中からスタッフを50人ぐらい増やしましたから。ほかのゲームを作っているチームからも招集して,セガの総力を挙げて作ったのがソニックアドベンチャーなんですよね。
飯塚氏:
私の場合,どれか一つ好きな作品といわれると答えられないんですよ。海外メディアにもよく聞かれるんですが,どの作品も自分の子供みたいな存在ですから。
苦労したという意味で言えば,確かにソニックアドベンチャーはそうですが,その次のソニックアドベンチャー2では,逆に少ない数のスタッフで開発をスタートしたため苦労しましたし,どの作品もすごく苦労していますので。選べなくてすみません(笑)。
――中さんが飯塚さんにソニックを託したとき,ここだけは守ってほしいというポイントはありましたか?
中氏:
当時,ソニックに対する僕の影響力や発言力はすごく大きかったこともあって,飯塚一人ではなく,同じソニックチームの西山と上川の3人に“ソニックコミッティ”を発足させました。これからは,すべてをこのソニックコミッティで決めて進めていこうという形で託したんです。
あれから5年が経っていますが,現在までがんばっているみたいで,本当によかったと思います。その当時までにシリーズが15年間続いてきて,ソニックというキャラクターがやっていいことや,やってはいけないことがいろいろあるので,それを受け継いでいくことはすごく大切なことですから。
トークセッションでも話題に上った,マクドナルドのハッピーミールの玩具。中氏によると1億個以上も売れたそうだ |
ちょうど10年前(2001年)のソニックアドベンチャー2のリリースに合わせ,10周年記念グッズが数多く作られた。グラスの後ろにあるのが,2日間限定で販売された「バースデイパック」だ |
――最後に,ソニックファンに一言ずつメッセージをお願いします。
大島氏:
新しくソニックのファンになってくれた人はもちろんですが,20年間ずっとソニックを好きでいてくれた人に対して,本当にありがたく思っています。イベント中にも話しましたが,僕にできることがあったら,手伝わせてくれたら嬉しく思います。
中氏:
これまで長いあいだソニックを作り続けてきましたが,日本だけでなく,全世界から手紙やイラストをたくさん送ってもらい,それらがすごく大きな励みになりました。
実は今でも手紙が届いたりしているんですが,皆さんの感想やアイデア,要望が寄せられて盛り上がるのが好きなので,これからもメッセージやイラストなどをソニックチーム宛てに送ってください。
飯塚氏:
E3 2011でのイベントとこの東京でのイベント,そしてこのあとイギリスでも開かれるんですが(関連記事),そこで聞けるファンの声というのが私達スタッフ全員の励みになります。ソニックというのは,表に立っている私だけではない,開発スタッフ一人一人の努力と才能によって作られていますので,皆さんの声援に応えられるよう,30周年,40周年と続けていきたいと思っています。ソニック・ジェネレーションズも,ぜひ楽しみに待っていてください。
「ソニック ジェネレーションズ」公式サイト
- 関連タイトル:
ソニック ジェネレーションズ 白の時空
- 関連タイトル:
ソニック ジェネレーションズ 白の時空
- 関連タイトル:
ソニック ジェネレーションズ 青の冒険
- この記事のURL:
キーワード
(C)SEGA
(C)SEGA
(C)SEGA