業界動向
ゲームのローカライズがうまくいかないのはなぜですか?
そしてなにより,本記事は「英語を中国語に訳すことの難しさ」を日本語で紹介する記事なので,とくに原文著者が例として挙げている訳文の部分などがそうですが,結果的に2度の翻訳が入っています。著者と相談しながら,可能な限り元の文章の意味や雰囲気を伝えるよう努力していますが,うまく出来ていない箇所があるかもしれませんこと,予めご了承ください。→元記事
叩かれた「上級運転手」
「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」の難易度一覧を覚えているだろうか。最高難度を中国語版で「上級運転手」※1と翻訳したのは,僕たちの仕業だった。
それは3年半前。
当時筆者は,親友である翻訳者の「阿熊」と一緒に「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」のローカライズを担当していた。「ローカライズを担当する」というとちょっといい感じに聞こえるが,ありていに言えば「テキスト翻訳の作業」に過ぎない。僕らは翻訳プロジェクトの一員として仕事をしているだけであって,ゲームについて知ってる部分といえば,自分達が担当する「一部のテキスト」だけだ。
実際,プロジェクト全体にどれほどのテキスト量があるのか,自分の翻訳分は全体の中でどれくらいの分量を占めているのか,何人の翻訳者がこのプロジェクトに参加しているのか,一番の下っ端だった我々には,まったく知るよしもないのだ。
当時僕らが使ってたのは,リアルタイムでオンライン上のデータベースが自動更新される共同翻訳ソフトだった。翻訳予定のテキストで,もしすでにほかの翻訳者に訳された用語があるのなら,どう訳されたのかをデータベースを通じて確認することができ,それによって翻訳の一貫性を保っていられたわけだ。
そんなこんなで翻訳作業が進んでいた最中,阿熊と僕は,すでに最高難度が「上級運転手」と訳されたことに気づいていた。ただ僕らは全体の中の一部を担うだけの普通の翻訳者であって,配られたテキストを訳すことが仕事だった。他人の訳文に手を加える権利もなかった。
正直に言って,「上級運転手」という翻訳はちょっと遊びが入っていて,僕らが担当になったならたぶんこうは訳さないだろう。それがネタであっても,意味が正しいものである限り,遊びが入ったり,ネタを入れたりすること自体に別に異論はない。明らかに「マジンガーZ」の「ブレストファイヤー」や「ロケットパンチ」をオマージュしているであろうものに,無理矢理「ペガサス流星拳」という翻訳を当てたりするのをやめてくれればいいだけの話だ。※2
その「上級運転手」の翻訳に関しては,僕ら二人の間でも少し議論はしたが,面白いと思ったし,口を挟まなかった。
そして校正と編集者※3も,恐らく僕らと同じ考えだった。この「上級運転手」は,最終的にリリースされた中国語版「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」に反映された。それがプレイヤーの間で議論を巻き起こして,賛成派は生活感のある単語に支持を示したが,反対派は翻訳が原文の文脈を壊したと主張し,それが激しい口論になっていくことは,当時誰も予想できなかった。
※3 原文では「润色(=refiner)」で,純粋に言葉をリファインするだけの役割の人を指すが,日本では全く同じ職種を担うケースは一般的でなく,職種として編集が一番わかりやすいので置き換えている
または「メン・イン・ブラック3」原文の「I think I just saw a tooth in that thing, or a claw, a hoof.」を「この店,地溝油か瘦肉精※4を使ってると思うね」と訳して,鋭い観客から批判を浴びたりとか,そんな感じだ。
※4 「地溝油(ちこうゆ)」は,日本では下水油(げすいあぶら),どぶ油と訳され紹介される,主に中国の闇市場で流通する再生食用油。「瘦肉精(そうろうじん)」は肉の赤身を増やす薬品で,ともに人体に有害な影響を及ぼすことがある。2012年の「MIB3」上映前に,中国では地溝油や瘦肉精を使用したレストランや飼育場が報じられ,時事ネタとなっており,それが翻訳に反映されたと思われる。
「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」の例は,訳者と校正の気まぐれでローカライズクオリティが落ちたことを示唆するものではない。逆に,僕が入った数々のプロジェクトの中では相当素晴らしい方に入る。
一部のプレイヤーに言わせるなら,「上級運転手」と訳したのはひどすぎた。だがそれ以外の部分では全体の翻訳レベルは高く,評価できるポイントが多い。UIに変なところはないし,キャラクターやアイテムの説明もスラスラと読みやすい。長すぎて一気に読めないようなセリフもない。
会話の処理もよく,きちんと口語らしい翻訳をしているだけでなく,登場人物のしゃべり方にもキチンと区別がある。「非人間的なしゃべり方」※5なんて一つもなかった。個人的な評価となるが,上記を満たすような翻訳は,そうそうないのだ。
ここまで読むと,「なんだ大したことないじゃん。それって翻訳の基本でしょ?」と思うかもしれない。
確かに,理論で言うならばもちろんこれは翻訳の基本に過ぎないが,ローカライズが優れているゲームはほんの一握りだ。悪い翻訳は,川を渡る魚のように,大量に氾濫している。いや,むだ話はよそう。「Bloodstained:Ritual of the Night」(PC / PS4 / Xbox One / Switch)の中国語版の翻訳を見れば,どれほどひどいかがきっと分かる。
まずそもそも「Bloodstained」全体の翻訳がひどい。これは,ひいき目に見ても,とうてい許容できない。ただ,砂をかき分けて金を掘り出そうとする態度で翻訳を見ると,とても読みやすくて“翻訳感”を出してないテキストと会話が一部存在することに気付く。筆者の見解では,この一部のテキストと会話を担当した訳者は,相応の能力を持っているはずなのだ。
ではなぜ,このプロジェクトはこんなありさまになってしまったのか?
筆者自身は「Bloodstained」のローカライズを担当しなかったので,ただの推測に過ぎないが,「一つのプロジェクトを数名の訳者で分配している」ことが理由の一つだろう。
このようなやり方は,翻訳会社とローカライズチームが手がける場合によく見られる。一般的に言うと,一つのプロジェクトを担当する訳者が少なければ少ないほど,翻訳のクオリティが高い。ただ,だいたい期限上の理由で,多くのプロジェクトでは全部のテキストを一人の手に任せることはできない。それで,テキストを小分けしてチームワークで作業することになる。
これこそが,ローカライズにおける一つめの敗因だ。玉石混交の訳者陣。
玉石混交の訳者陣
ゲームローカライズの業界にいる人は多いが,きちんとした翻訳経験を持ち,中国語をうまく話せる良い翻訳者は実に少ない。優秀な訳者は数えるほどしかおらず,みんな大物になっている。そんな中でも目立つのは,GAMECORES※6で記事を載せた二人の翻訳者,「Rico_Se7en」と「GA_Frank」だ。
※6 本記事のオリジナルが掲載されているゲーム情報サイト
筆者自身も上記の大物と一緒に仕事する縁に恵まれたことがあるが,彼らの翻訳は確かに信頼できる。しかし言うまでもなく「大物」はごく少数に限られ,彼らの日程が埋まっていたらほかの翻訳者を当てるしかない。そして正直に言って,ローカライズのクオリティはそこから未知の領域に入っていくのだ。
それなりに優秀な翻訳者だって大勢いるが,どうしようもないレベルの人が混じるのは避けようがない。仮に,10人で一つのプロジェクトを作業するとき,そこに一人だけレベルの低い人がいれば,それはすなわち10%のコンテンツが死ぬということだ。
そして10%が死んだゲームは,その全体が道連れになって死んでいくのだ。
ローカライズは一見,翻訳者に高い英語能力を求められていると思われがちだが,実際のところ文章の大半はシンプルで,使われている単語も難解なものはそこまで多くない。訳者はCET-6(通常の中国大学生の英語能力)程度を持っており,真面目に辞書を参照していけば,原文の意味をキチンと汲める。翻訳の質を本当に左右するのは,翻訳者の中国語レベルなのだ。※7
※7 本記事は中国の話だが,日本語版の翻訳においても根っこは同じだ
言葉の意思を汲んで,それを中国語で書けばいい。聞いた感じは簡単そうに思えるが,実際にはかなりの手間がかかる。そもそも英語と中国語は違う言語構造なので,翻訳のときは,言語習慣に合わせて,英語の長い一句を,中国語の短い数句に分ける必要がある。その言葉の分割は,英中の翻訳プロセスで一番時間がかかる作業とも言える。
例えば……
この三行にわたる長い一文は,一度も止まることなく一気通貫で続いている。このような文章は英語だとよく見かけるし,英語の構造に慣れている人なら,普通に最後まで読んで,何の苦もなく意味が分かるだろう。
ただ,構造を変えずにそのまま中国語にしてしまうと,それはもう天災レベルとなる。
これは,実際に某有名RPGの初稿翻訳に出てきた文章だ。初めて読んだ時は,動悸がひどくなって心臓発作が起こるかと思った。「冷酷非情な性格と,一番経験豊富な海賊ハンターからも逃げられる能力を持つ,広く恐れられている海賊船長」にレイピアで刺されたような気分だ。
これはまさしく,一番低いレベルの翻訳調※8の翻訳だ。よりにもよって,英語の構造をそのままコピーしやがった。訳文から,元の文章がどう書かれているのかすら推測できる。
※8 オリジナルの言語で示された表現が,そっくりそのまま日本語に直訳だけされているような表現。多くの場合,日本語としてそのまま読むと,意味を理解するのに苦しむ
原文を小分けにして,中国語の習慣に適した短い語句に分けていけば,ちゃんと読めるようになる。この文章を例にするならば「尋常ではないこのレイピアは,かつて冷酷非情な海賊船長の持ち物だった。彼は,相手が一番勇猛果敢な海賊ハンターだったとしても,その手の内から逃げおおせられるのだ。」と書いたほうが,だいぶ読みやすいし分かりやすい。
これで,言葉の分割の重要性が分かるだろう。
息切れを起こすような長い訳文でなかったとしても,体中にアレルギー反応を呼び起こす訳文も存在する。読んだ瞬間,それはもはや人間の言葉ではないことが分かる。
「あなたが静水湖を干渉」? 「諦めたかもしれません」? なぜ普通の人間の言葉を使わないのだろう。
このほうがよほどいい。
このような非人間的な訳文は,読んだ数でいうと少なくとも千は超えている。でも正直に言うと,さっきの翻訳例にもし刑罰を課すとしても,せいぜいが身柄の拘束だろう。死刑レベルの訳文と比べれば,大した問題ではない。そう言いたくなるくらい,絶望的にひどく,救いようのない訳文というものが,この世には存在しているのだ。
それはまるで,僕がこの数十年,毎日毎日付き合っている中国語が偽物か架空の言語かのように思えてきて,それを読む人が自己不信に陥ってしまうレベルなのだ。「原文を尊重する」という名目で,一字一句を直訳して,言葉をそのまま元の場所に貼り付けるだけ。ちゃんとした文章を,どこをどうやったらそうなるのか,ぎこちない書き方にしてしまう。そういうものを見るたび,怒りで肝臓をいためそうになる。
まあ……非人間だと言うほどひどくはないが,喉に刺さったトゲみたいに息を詰まらせる翻訳もある。ここでは,「DEVIL MAY CRY 4 Special Edition」(PS4 / Xbox One)の技の説明を例に見てみよう。
当時ネットで,これは機械翻訳ではないかと疑うプレイヤーがいたが,ほかのプレイヤーに反論されていた。そう,これは明らかに機械翻訳ではない。機械翻訳であれば「先祖代々でも驚く」とか「彼方へ送り出そう」のような,面白半分の言葉は使わない。しかし,普通の人間が口にする言葉でもない。あまりに硬すぎて,この言語で数十年間生活してきた人が書ける文章ではなさそうだ。
もしあなたが,昨日スマホゲームに課金したことを誰かに話すとき,
と言ったのであれば,聞き手はたぶんあなたのことをほめるだろう。「アフリカのお兄さん,あなたの中国語うまいですね!」と。
伝統的な見解では,翻訳の要素は「正確,流暢,優雅」。正確さは第一で,次は流暢さだ。しかし,長年翻訳者として仕事していると,クソみたいな文章もたくさん見てきている。そんな長年の結論として,流暢さを一位にすべきだと思っている。
流暢だけど正確性に欠ける文章ならば,間違っているところをまだ皆さんと議論する余地がある。正しいけれど流暢さに欠けている文章は,批判される資格すらない。まるで原初のカオス,白痴の魔王アザトース,強引にくつっけられたけど風に吹かれて風化したう〇このようだ。
読んだ瞬間に,あなたもきっと分かる。すぐやるべきことは,その文章を飛ばすことだ。絶対に関わらないほうがいい。でなければ人生が台無しになるだろう。
この文章は,確かに意味を正確に表している。だが,読めるかどうかはまた別の話だ。そして,ここまで読んでくれた方なら,戸惑うのは必然だろう。これだけレベルの低い翻訳者を,翻訳会社はなぜどうにかしてくれないの?
実際,レベルの低い翻訳者は,それこそ翻訳会社が選んで好んで使っている。いろんな理由があると思うが,一番あり得る理由は「安い」だ。
翻訳会社の価額競争
レベルが低くて安い翻訳者を雇う翻訳会社は,同じく安い料金でサービスを提供している。経験則上,1000文字150元(約2400円)を超えることはない。普通に1000文字300〜400元(約5000〜6000円)の翻訳会社と比べると,これはかなり魅力的な金額だ。
そういう翻訳会社と接触したこともある。
そのときちょうど時間的余裕があって,求人サイトで公開していた自分の履歴書をちょっと更新してみたら,すぐ翻訳会社から連絡がきた。
話はとても丁寧だった。先方は私に,テスト翻訳※9のオファーを出してきた。もしテストをパスできたらその会社の訳者になれて,ギャラは1000文字につき35元(約550円)だと。私もとても丁寧に返した。もしBaidu翻訳を使っていいなら,この値段を飲みましょう。ほんわかとした雰囲気のなか話は終わり,それっきりだった。
※9 応募者選別のための条件として無償で行われるもの。(有名訳者などの特例を除いて)履歴書を信頼しない中国では,ごく一般的に採用されている雇用上の手法である。
その後こっそりその会社の公式サイトを覗いたら分かった,ホームページが粗い作りなのはいいとして,翻訳サービスの定価が「1000文字130元(約2000円)」となっていた。
それがどれくらいアレかというと,あなたがPS4を買うために店に入ったら,店員にこっそりと隅っこに呼ばれ「ウチのPS4は特別輸入品で800元(約12500円)で買えるよ」と言われたようなものだ。そんなPS4を,買う人がいるのか?
そう,賢明なあなたは買わないかもしれないが,買う人はこの世に存在するのだ。買ったらどうなるかは,とても簡単に想像できる。
以前,原稿の品質をチェックして訳者レベルの評価をしてくれないかという依頼を受けたこともある。その原稿は,すごく安価な翻訳会社が訳してくれたものだという。クライアントが薄々,翻訳のクオリティをあまりよくないと感じたのか,僕に「ざっとチェックしてみて」という依頼が飛んできた。僕も本当に「ざっと」しか見なかったが,感想は「こんな文章を書ける人は,病院で精密検査をすることをお勧めする。どこかカラダに悪いところがあるのかもしれない。頭とか」。
それはたった数百行しかない「聖闘士星矢」の原稿だった。ざっとしか見なかったけど,たった最初の3行で,既に明らかな間違いがあった。中でもひどいのは,一行で「城戸沙織」の訳が3種類あったことだ。
一つ目は「Miss Yarn」(編注:あえて訳すなら「織り糸さん」),二つ目は「Saori」,三つ目は「Miss Weave」(編注:あえて訳すなら「織り編みさん」)。レベルが低いにもほどがある。3回連続で同じ言葉を訳しているのに,“ついさっき”訳した名前を覚えてないなんて。ここまで来ると,さすがにこれは仕事上のミスとかそういうレベルの問題ではない。
でも今まで見てきた原稿の中では,これは最悪の原稿には入らない。もっとひどくて,思いもよらない,これは小学生が訳しているのでは? と思える原稿だってある。その手の翻訳は大体,仕事が雑で値段が低いローエンドな翻訳会社がやっている。低クオリティの安い訳者を雇い,英語にあまり詳しくない,安さだけに目を引かれるクライアントをダマして,翻訳市場を混乱させているのだ。
ちゃんとした会社の,ちゃんとしたプロの翻訳者にとってみれば,同じ固有名詞に対し何種類もの訳語が存在することはあり得ない。前後に出ている同じ用語はもちろん,たとえ一週間前に訳した用語でも,一貫して同じ訳語を使える。それは記憶力が良いからではなく,翻訳中に頻繁に使われる「用語集」があるからなのだ。
随時用語を追加していくのは,訳者としての基本的な業務だと言える。「用語集」がどう使われているかによって,その人にちゃんとした翻訳習慣がついているかどうかが分かる。
用語の話で言うならば,先日参加した,とあるプロジェクトのことを思い出す。あのプロジェクトも災難だった。もしかしたらあれこそが,ローカライズがうまくいかない三つ目の理由だろう。その理由となるのが,体制混乱だ。
体制混乱
当時私は阿熊の誘いで,数名の大物訳者と共に,ある有名なサッカーゲームを訳していた。
そのプロジェクトのかなりダメなところは,共同作業なのにまるっきりオンラインで連携していなかったことだ。事前に統一された用語集もなかったので,訳者全員が各自オフラインソフトで訳していて,それぞれが自分の用語集を作っていた。そして毎日の最後に,訳者全員の仕事がチェックされて表現が割れているものを見つけ,全員にそれを伝えて統一するために修正することが求められた。
これは,例えるなら数人のメンバーでトンネルを掘っていくときに,ほかの人がどの手法で掘るのかお互いにまったく分からず,それぞれの方法で掘り進めるしかないという状況だ。別々に掘ったトンネルがもし繋がらなかったら(そして繋がらない場合は多々ある),その分の掘り直し作業が求められる。
さらにとりとめがなくなっている原因は,すべての翻訳者は一つのグループにまとめられているのに,校正担当が別のグループに入られているということだった。校正は翻訳の用語に意見を出すが,リアルタイムに翻訳者と連絡が取れない。真ん中にプロジェクトマネージャーという人物がいて,定期的に校正の見解をまとめて,翻訳者に修正指示を出すというわけだ。
それはまるで,山の中腹にトンネルを掘っているが,設計事務所は町にあるという状態だ。毎日誰かが,山から町へ,町から山へと足を運んで,トンネルの掘り進め方についての指令や意見を集めてくるが,町から情報を持ってきたときには,すでにその部分のトンネルはできていて,結局掘り直しをしなければならなくなるのだ。
その状況がどれほどカオスだったのか,思い浮かぶだろうか。遠くにいる校正担当がいろいろと我々の翻訳に指図し続けたが,こちらサイドに伝わった情報はいつも遅れていた。
当時のプロジェクトマネージャーに「これは問題がある」と報告した。そのついでに,翻訳プロジェクトに向いている共同翻訳ソフトの紹介もした。そのソフトは,オンラインの用語集とデータベースがあって,リアルタイムでアップデートでき,共同作業に超絶向いてるはずだ。自分達も,そのソフトで数個の大きなプロジェクトを成し遂げた実績がある。
そこからは数回にわたり,ソフトを変更してくれるようリクエストをして,プロジェクトマネージャーも上司にそのように報告したが,どうやら翻訳会社は気に食わなかったらしい。結果,最初から最後までカオスだった。作業中に,翻訳者とプロジェクトマネージャーの間で何度も衝突が生じていた。
そしてプロジェクトは終わった。クライアントは,翻訳者たちが責任転嫁していたと不満だったが,こっちもこっちでイラついていた。僕らのギャラは文字数で計算されているのに,翻訳会社側の混乱で時間が無駄にされた挙げ句,翻訳者が責められるのは納得いかなかった。プロジェクトマネージャーも,翻訳者とクライアントの間に板挟みにあってしまった。
僕は,そのマネージャーとプライベートでの友人だったので,彼女から会社の愚痴をたくさん聞かされた。かわいそうに。僕らにとっては,そのプロジェクトは「終了したカオス」でしかないが,彼女にはまだ次があった。もう一つ,あのオフラインソフトを使わなければならない,つらいつらいオンラインプロジェクトが彼女を待っていた。
あの2個のプロジェクトが終わってまもなく,彼女は会社を辞めた。辞めるときに,僕は彼女が普通にいい会社に就職できるよう,祈った。
インゲームQAをしない
QAとはQuality Assurance(品質保証)のこと。
僕が遠い昔,ゲーム翻訳という仕事に対して想像していた姿は,左にゲーム,右がテキストというものだ。もちろんゲームをしながらテキストを訳すメリットもあって,つまらない単一作業でなくなるというのが一つ,そしてもう一つは,その言葉が表す正確な意味も分かるようになるということだ。
それが,理想的な翻訳の流れだろう。そう,「Dragon's Dogma」(PS3 / Xbox 360)の英訳チームのように。
訳者は,ゲームをプレイしながら翻訳を進め,その都度開発チームと確認をし合っていた。両者の合意のもとに二次創作をも加え,原文にない内容も加えられたので,英語版の会話は元の日本版よりも内容が多い。
キャラクターの性格も日本版より描写が充実している。例えば,マデリンは初めて会うときから「褒めて!褒めて!」とか言う馬鹿っぽい女の子ではなく,厳しい現実に向き合う強気な女商人に作り上げられた。
もちろん,そのような翻訳は効率が悪く,コストも上がるに違いない。大半のメーカーと翻訳会社はそこまでコストがかかることはしてくれず,その結果,現実はこうなる
しかし多くの場合,そのような追加資料は一切もらえない。翻訳者は,前後の文脈やテキストのキー値を参考にしつつ,プラス長年の経験で積み重ねてきた独自のノウハウで,テキストはどこで表示され,どんな意味を持っているのかを当てるしかない。
一般的に言うと,クライアントからランダムな順番で並ぶテキストしかもらえず,参考にできる情報がほかに何一つもないと決まったときから,そのプロジェクトの失敗は既に決まっている。
「Bloodstained」の失敗も,きっとそれだ。
「Monte」「Welcome Company」「Titania」※10……それだけぽつんと書かれても,その言葉がゲーム内で持つ意味など分かるはずもない。翻訳者もたぶん,クライアントに連絡がとれず,意味がさっぱり分からない状態でそのまま「モンテ」「歓迎会社」「二酸化チタン」に翻訳したんだろう。おかげで,「Bloodstained」のローカライズは笑いものになってしまったわけだ。
……とここまで読んでも,まだ皆さんは戸惑っているかもしれない。翻訳者が全体を見られないのなら,翻訳会社が責任を負うべきではないのか? ここまで明らかな翻訳の間違いなら,ゲームをプレイした瞬間にすぐ分かるではないか。
そう,それこそまさしく「おっしゃるとおり」だ。ローカライズのクオリティ低下につながる理由の一つは,多くの翻訳会社で「ゲーム内での確認が行われていない」ことにある。というかもっと言うと,ゲーム内のテキストを読まない。
概ね問題なさそうであれば,実際ゲーム内ではどう使われているのか,訳文は正しく理解されそうか,それとも笑いものになるか……それらを気にするようなことはしない。それらはたぶん,プレイヤーしか気にしていないことだ。
ここまで翻訳会社を叩くのであれば,次は必然的にこうなる。
「翻訳会社は利益にしか目がなく,そのせいで翻訳クオリティを気にすることはない。安い金額で仕事を受けられる,安い翻訳者にしか依頼してないから,結果的にそれが悪貨は良貨を駆逐する※11という状況になるわけで,翻訳クオリティが下がっていくという状態の真犯人は翻訳会社なのだ」
※11 グレシャムの法則:Wikipedia
そしてその結論は一見理にかなっている。責める相手がいることで,すがすがしくさえ思える。ただその結論は,安直すぎないか?
僕が知っている限り,翻訳業界の競争は極めて激しい。少し名のある翻訳会社であれば,安価で経歴不明の翻訳者に適当に仕事をやらせるわけにはいかない。もしそれをやると,苦労して信用を勝ち取って積み重ねてきたクライアント達がいなくなり,会社もつぶれるのだから。自分の会社が存続できるかどうかを気にしない経営者はいないだろう。
しかし,先ほどの「利益最優先」の結論にしても,それは事実ではない。阿熊は長年フリーの翻訳者として業界にいるが,彼のギャラは断じて安くない。今までに値下げしたこともなく,どんどん上がる一方だ。
もし翻訳会社が,本当にクオリティを気にせず,悪貨が良貨を駆逐するなら,彼はとっくに飢え死にしてるはずだ。しかし実際はその逆で,彼に翻訳を依頼したいと思ったら,とうてい予約なしでスケジュールは押さえられない。別に彼が偉そうに振る舞ってるわけではなく,彼のスケジュールは実際にほとんど埋まっていて,彼に依頼したいのなら,気長に待つしかないのだ。
なるほど,翻訳会社のせいではない……とすると,翻訳者のせいだろうか。
確かに,優秀でない翻訳者はいる。訳文に対するプロ意識が欠けていて,低い金額で仕事を獲得している人もいる。ただ,翻訳業界で安定的に仕事がもらえて,翻訳者として続けていられる人はきっと,それなりに腕があるはずだ。なんせ安いギャラでしか仕事がもらえないのであれば,普通の生活も厳しくて長続きしないだろう。
なら,誰のせいだ?
翻訳者と作品の間の壁
ローカライズチーム※12でフルタイムの翻訳をやっていたころ,「South Park:The Stick of Truth」(PC / PlayStation 3 / Xbox 360)という,かなり重要なプロジェクトがあった。文字数が多く,メンバー各自は一部のテキストを担当する。終わったら全員のテキストをまとめて,責任者のEくんが時間をかけて用語と言語スタイルを統一した。
※12 ここで言うローカライズチームは,趣味で集まった人たちの「プロジェクト制ローカライズスタジオ(民間組織)」のこと。ボランティアで翻訳することも多い
単純な用字用語の統一作業だけでなく,Eくんは「South Park」シリーズのコアファンでシリーズのストーリーやネタを知り尽くしていたので,ネタを仕込んだり,技術サイドと調整してアニメ版の「South Park」と全く同じフォントにしたりした。
おかげで,プレイヤーがゲームをやっているとき,お馴染みのネタ満載の「South Park」の映画版を観ているように感じられたことだろう。
当時僕ら(阿熊と筆者)は,事前に英語版を最後まで遊んでいたが,中国語版と比べながら修正をかけつつ,もう一周プレイした。不適切なスキル名など数十か所に細かく手を入れ,会話もいじった。最初のバージョンで特色のなかった会話が,僕達の手を通じて,エロくてバイオレンスになった。修正後のテキストを読んで,お互いに笑った。そう,これこそが「South Park」だ!
このプロジェクトが始まったとき,僕達はただの翻訳担当だった。普通なら,テキストリファインなんて僕らとは関係ない。でも二人とも,このエロくて暴力的な,ベラベラとやたらにセリフの多いゲームに惚れていたし,汚い言葉に隠れてユーモアが飛び交うテキストも好きだったから,つい出しゃばってしまった。
参加した翻訳者全員と熱心なプレイヤー達の力で,その後も中国語版は数回リファインアップデートされた。クオリティも,最初のバージョンよりはかなり上がった。最終的なバージョンでも,完璧とは言えないところがまだ多く存在しているが,たった10人のチームとしてはかなりの出来だと思う。ローカライズゲームの全部が全部「South Park:The Stick of Truth」のように作られるなら,中国のプレイヤーもきっと幸せだ。
「ニュージャージーからのユダ公? あんたカイルのお母さんでしょう」
記憶では,ここを「ユダ公」にしたのは阿熊だった。元々の「ユダヤ人」よりも,そっちのほうがカートマンの性格にふさわしいから。※13
しかし不思議なことに,自分の仕事として「翻訳」を選んでから,あんな風に全力を尽くしてプロジェクトに向き合ったことはなかった。
ほかの翻訳者と同じグループにいても,各自はそれぞれの仕事に専念しているのでコミュニケーションはゼロ。多くの場合,同じプロジェクトをやっている仲間が誰なのかも知らない。みんな別々な場所にいて,ほかの人が何をやっているかのも知らない。
プロジェクトに存在している「空気の壁」もかなりひどく,プロジェクトそのものは,効率よく動いている生産ラインでしかない。翻訳の人は翻訳しかやらない。校正と編集の人も,校正と編集しかやらない。
ちょっとマシな会社なら,間違えてリファインされているところとか,不適切な表現になっているところとか,そういうものがないかを確認するために,リファインされたテキストを翻訳にフィードバックしたりする。しかし効率重視の会社であれば,その分の作業も省くことになる。訳されたテキストを提出した時点で,そのプロジェクトはもう自分にとって関係ないものになるのだ。
プロの翻訳者として,そのようなプロジェクトに参加する回数が多ければ多いほど,心境も徐々に変わってきた。リファインとかは考えず,他人が訳したおかしいテキストも見て見ぬふりだ。筆者はあくまでも翻訳者であって,編集者ではないからだ。
余計なことをすることは,自分の時間を費やして,知らない人の作業を無償で手伝うことになる。自分が稼ぐカネを他人のポケットに入れることは,誰だってやらないに決まってる。
結局のところ,これは僕のプロジェクトではないのだ。
ローカライズチームにいたころ,すべてのローカライズファイルは責任者のEくんを通じてリリースされていた。リリースの時も必ず,参加者全員の名前が記されていた。僕が参加したプロジェクトにもきっと,僕の名前が残っている。署名することで何かの実益があるわけではないが,感情面で自分がこのプロジェクトの一員であることが感じられ,努力する義務を感じ,プロジェクトをより良くする力が湧いてくる。
商業的な翻訳プロジェクトには,翻訳者が名前を残す権利はない。ローカライズ作業を建築に例えるのなら,翻訳者は土木作業員だ。ビルの建設が終わった日が,そこから離れる日だ。建築会社の社名は表に出るが,あなたはレンガを運ぶ人でしかない。ビルが建て終わった瞬間,二度と関わらないものになる。
もし自分の今までの取引明細をしげしげと整理したなら,自分がこんなにも多く有名ゲームのローカライズに参加したのかと気付いて,同時にすべて自分ともうほとんど関係ないことにも気付くだろう。
翻訳としては,訳者と作品の間に壁があることを受け入れるしかない。自分の手で訳された部分のテキストは,きちんとしたクオリティで訳されたものだと保証できるが,それ以外のことは運任せだ。ローカライズプロジェクト全体の品質ともなれば,関わりたいと思っても関われない。
おそらく翻訳会社にとっても,これは手を焼く問題であろう。Eくんみたいに,ゲームに詳しく,翻訳ができて,訳文のまとめができて,用語を統一してくれるチームリーダーが必要かもしれない。もしかしたら翻訳者と作品の間の壁を薄くして,翻訳者に署名する権利を提供するべきなのかもしれない。
でも本当にそうしてくれたとしても,根本的な解決にはならないかもしれない。翻訳業界での競争が激しすぎるのだ。生き残れるのは,早く走れる人だけ。ゆっくりと,時間をかけて上質な翻訳でクライアントを集めたい会社が存在するとしても,恐らくコストの問題で倒産するのだろう。そしてローカライズのクオリティは,今後長い間にわたって解決しかねる問題であり続けるだろう。
つまりゲームを愛するプレイヤー達,ゲームを愛する翻訳者達はきっと,今と変わらず自分の熱意で,自分の力で,中国語ローカライズを改善していくことになる。
「Pillars of Eternity II: Deadfire」は,2018年5月8日に発売された。その時点で,中国語ローカライズはすでに完了している。
GA_Frank,阿熊,そしてほかのメンバーも,発売してから数か月にわたって中国語版のリファインをし続けてくれた(僕はこのときはあまり役に立てなかった)。GA_Frankはテキストに数回の修正を加えて,Obsidian Entertainmentもそれを中国語パッチに適用してくれた。各バージョンでは多くの問題点が修正され,最初より大幅に品質が向上した。
すべてが「ファーストフード」に占拠されているこの時代でも,のんびりと,心からゲーム全体を楽しんで,ゲームクオリティを本当に気にかけてくれるプレイヤー達がいることだろう。
そしてその中には,阿熊やRico_Se7en,GA_Frankなどの翻訳者のように,自分たちの能力で中国語パッチを制作できる人達だっている。その後ろにいるのは,現状を自分達で直接変えることはできないけれど,自分達でフィードバックしてゲームをより良くしようとする意識を持っている,一般のプレイヤー達だ。
翻訳業界の競争がゆるむことはないかもしれない。短期間では,翻訳会社が今までのやり方を変えられないかもしれない。翻訳者達にしたって,制作者リストに自分の名前が載るようなことはないかもしれない。
でもゲームを愛する人がいれば,ローカライズはきっといい方向に向かっていくのだろうと思う。
ローカライズのQA(品質保証)をマスターする7つの方法
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