イベント
「『アヴァロンの鍵』20周年記念トークライブ with 魔導の世界へようこそ! -同窓会-」レポート。配信&録画NGのイベントで語られた当時の裏話とは……?
有志のプレイヤー(「アヴァロンの鍵」情報サイト「アヴァロンズゲート」管理人,めがぎが氏)が主催ながら,会場には「アヴァロンの鍵」の開発,運営に深く携わった以下のスタッフが参加。稼働から20年経った今だからこそ語れる裏話満載のトークライブが行われた。内容は本来オフレコだが,開発チームにも確認をしたうえで「ここまでならOK」というラインでのレポートをお届けする。
「アヴァロンの鍵」20周年記念トークライブ with 魔導の世界へようこそ! -同窓会-
出演者
・小早川 賢(コハD)(「アヴァロンの鍵」アシスタントディレクター)
・田口博之(「アヴァロンの鍵」チーフデザイナー)
・熊谷美恵(「アヴァロンの鍵」プロデューサー)
・呉田武司(「アヴァロンの鍵」チーフプログラマー)
・西村ケンサク(「アヴァロンの鍵」宣伝担当)
・司会進行:めがぎが(ファンサイト「アヴァロンズゲート」管理人)
開発スタッフ&コアユーザーで
「アヴァロンの鍵」の歴史を振り返ったトークライブ
トークライブはイベント前に集計していたアンケート,「あなたがアヴァロンの鍵につぎ込んだ累計金額は?」「累計何店舗でアヴァロンの鍵をプレイした?」といった質問への回答を見つつ,開発スタッフがアンケートと関係のあること,またはないことを自由に語っていく流れでスタートした。
イベント全体からすると本題に向けてエンジンをかけるアイドリング的なコーナーだったが,稼働当時に行われていた交流イベント(魔導の世界へようこそ)に出演していた小早川氏と西村氏が客席に見知った顔を発見してコミュニケーションを取ることで盛り上がり,そこから展開された遠征やカードトレードの話を起点に,なぜか当時のインターネットBBSの話題に波及していく。
開発陣が今で言うエゴサーチを頻繁に行っていたことが明かされ,呉田氏からは「バグが出た時に”足し算できないプログラマー”って書かれていたのがショックで,今でも覚えている(笑)」といったエピソードなども飛び出した。
アンケートの紹介が終わると,トークのテーマは「時系列で振り返る,アヴァロンの鍵」へと移行。ここでは開発時〜ロケテスト時に始まり,稼働開始〜バージョン1.3まで,「アヴァロンの鍵 弐」(バージョン2.0)と,それぞれの時期に起こった現象,流行った&印象に残ったカード,そしてプレイヤーには窺い知ることができなかった開発チーム内の動きなどが次々と語られた。
開発期〜ロケテスト時のパートでまず触れられたのは,プレイヤー側から見た「アヴァロンの鍵」登場時の様子。当時のゲームセンターにはないスタイルのゲームが突如現れたことに対する興奮,大盛況となったロケテストに参加するための苦労,熱狂を生んだがゆえに発生したロケテスト版カードの高額取引などが話題に上がった。
開発側からはゲームタイトルに「タグバトラー」「ガッタビースト」といった,出演者一同が声をそろえて「今考えるとダサい」候補があったこと,見栄えはいいがゲームプレイには直接使用しない,メインモニターの導入が社内で物議を醸したこと,「作家さんのイラストに過剰なホロ加工を行うのは失礼なのでは」という田口氏のこだわりから生まれた,「アヴァロンの鍵」のレアカードのデザインといった秘話が明かされた。
ロケテストを経て「アヴァロンの鍵」の全国稼働が始まった時期の振り返りに移ると,ゲーム内,そしてトレードの弾として環境を席巻した超強力カードが話題の主軸に。とくにアーミーアント,ディープシーカーといったカードについては多くの時間が割かれ,呉田氏からは「(アーミーアントの大量発生を見て)初日に川崎のゲーセンで頭を抱えたけど,当時は修正バージョンを配布するのに3週間は必要だった」という,オンライン環境がほぼなかった時代のアーケードゲームならではの苦労話が飛び出す。そして小早川氏からは「ゲームの全体像が出来上がる前に“単発で使って気持ちいい”カードとして生まれてしまったのが,よくなかったんだなと思う」といった原因の分析や,社員寮の部屋が隣同士だったという藤澤智章ディレクターとは,「朝の4:00ぐらいまでずっとカードの話をしていた」など,当時の思い出を語っていた。
アーケードトレーディングカードゲームという,前例がほぼないゲームの開発,そして当時は少なかった運営型のタイトルということで,予想外のトラブルへの対処,手探りで進めた開発時の苦労話が多かった,「アヴァロンの鍵」の時系列振り返りコーナー。
しかし開発陣にノウハウが蓄積し,プレイヤーからの評価も高かったという「アヴァロンの鍵 弐」パートのトークでは,小早川氏は「お客さんと『アヴァロンの鍵』の関係がどういうものか分かって,(望まれている要素を)どんどん入れ込んでいったバージョン」,呉田氏からは「個人的にはここでやっと『アヴァロンの鍵』のバージョン1.0が完成した」といったポジティブな評が出るようになった。
また,熊谷氏,田口氏からは,SNSがある現代とは異なるイラストレーターへの仕事依頼の手順(個人ホームページで連絡先を確認→メールを送信→実際に会いに行って交渉)や,「こういう仕事(アーケードカードゲームのイラスト発注)があることを理解してもらうのが大変だった。ゲームが出るまでは詐欺だと思われていたかも」,「魚(系モンスター)のイラストはいつも余る」など,カードイラストにまつわる裏話が飛び出した。
しかし開発スタッフとしては「アヴァロンの鍵」が当時おかれていた状況(「アヴァロンの鍵」の全国的なインカム,当時のアーケードゲームには5年,10年とアップデートを続けていくタイトルが少なかったetc...)から,「弐は悔いを残さないバージョンにしておきたい」という共通認識を持ち合わせていたという。
そのため田口氏は「普通はもっとバージョンが進んでから使うモチーフ」という「和の要素」を投入したデザインで,「アヴァロンの鍵 弐」の世界観を形成。小早川氏は「もし対戦相手がいなくなってしまってもカードどうしのシナジーを感じて楽しめる」,軍団系のユニットを生み出した。
さらに呉田氏を始めとしたプログラマー陣は,稼働年数が経って「実カードの供給ができなくなった場合」のゲームプレイを想定。すべてのカードをデジタルデータとして利用できる,デッキフリーモードを作成し,それを「アヴァロンの鍵 弐 鍵聖戦」の最終バージョンに搭載していたことを明かした。
当時の社内状況や続編の可能性についても言及
熱い質問に真摯な回答が返ってきた質問コーナー
「時系列で振り返る,アヴァロンの鍵」コーナーが終了すると,会場は開発スタッフがアンケート&観客から事前に寄せられた質問に答えるコーナーへと移行。ここでは以下のような質問が紹介され,現在もセガに在籍している小早川氏が中心となって回答を行った。
Q. バージョンアップが終わってしまった理由は?
熊谷氏:
ゲームを触ってハマっていただいたプレイヤーさん,店舗さんには愛されていましたが,3作目のリリースに至るだけのパワーは足りなかった。
呉田氏:
(売上,開発コストといった商業的な問題を抜きにしても)基板のメモリがまったく足りていないという理由があった。「弐」の時点でプログラムの条件文に「if」を一つ足すこともできない状態になっていた。新しいプログラムを足す際は,毎回他の部分を削ったり最適化する必要があった。
Q. 「アヴァロンの鍵」はニンテンドーゲームキューブと互換性のあるトライフォースが使用されていたが,移植は検討されていた?
熊谷氏:
開発が始まった時点で(ゲームキューブへの移植は)意識はしていたが実現しなかった。
小早川氏:
当時の我々のビジネスはアーケードこそが主戦場だったのが大きかったと思う。ゲームキューブで移植タイトルを出すよりは,新しいアーケードゲームを作ったほうがいいという判断があったのでは。
西村氏:
今振り返ると,セガが家庭用ハードから撤退した直後だった。タイミングも悪かった
Q. 稼働途中のバージョンアップでオンライン化は検討されていた?
呉田氏:
検討はもちろんされていて,PC(開発機材)同士をつないでのオンラインプレイは社内で実現していた。
小早川氏:
ただし全国のゲームセンターをつなぐような大規模なテストはやっていないし,できなかった。「アヴァロンの鍵」が稼働していた時期のゲームセンターのネットワークはすごい脆弱で,オンライン化が実現したとしても他タイトルとの帯域の取り合いなどでゲームにならなかったと思う。
Q. バージョン1.0のロケテスト版カードが製品版で使えたのに対し,1.1,1.2のロケテストカードが使えなかった理由は?
小早川氏:
ものすごい単純な理由で,転売やカードショップでの高騰への対応。
西村氏:
先行して稼働していた「WCCF」も含めて,ロケテスト版のカードの値段だけは,ちょっと不健全だった。
小早川氏:
だだあの頃カードを転売していた人は,ゲームをプレイしているうちにハマってくれる人も少なくなかった。だからそこまで嫌な思い出にはなっていないです(笑)。
Q. 諸事情で実装できなかったシステムやカード,3Dモーションはありますか?
呉田氏:
基板の性能やGD-ROMの容量を考えて,ゲーム画面に表示されるキャラクターの関節の数を削っています。その影響で(仕様を知らない人が)PCで作ったキャラクターをトライフォース基板に移して描画させると,よく基板がフリーズしていました(笑)。
Q. ゲーム性はそのままで別作品へ継承をするならどのような展開を行いたい?
小早川氏:
できるできないは置いておいて,やるならゲームセンターにみんなが集まって遊ぶ形式のゲームしかないと思っている。
田口氏&西村氏:
アーケード以外で展開されるとしても,「アヴァロンの鍵」と同じようなコミュニティが形成されるゲームでなくてはいけないと思う。
呉田氏:
コモン,アンコモンのカードにも役割があるところは絶対に継承すべき。低レアリティのカードが「ゴミ」と呼ばれるようなゲームにはならないでほしい。
Q. 「アヴァロンの鍵」の新作が登場する可能性は?
小早川氏:
商業的な理由以上に,皆さんのそれぞれの心の中で輝いている「アヴァロンの鍵」,つまり思い出補正を超えることが難しい。思い出補正を超えられると確信できるアイデア,技術などが生まれるまでは,続編は「ない」と言い続けるしかない。
呉田氏:
当時の「アヴァロンの鍵」を超える200%のものが作れたとしても,たぶん思い出補正には勝てない。納得してもらえないと思う。
質問コーナーが終了すると,この日用意されていたもう一つのメインイベント,「魔導の世界へようこそ!-同窓会-」がスタート……すると思いきや,トークライブが盛り上がりすぎた結果,イベント開始から約4時間が経過していることが判明。そのままエンディングへと突入し,最後は出演者&来場者全員での記念写真が撮影され,イベントはお開きとなった。
なお,今回のイベントで取り上げられたエピソードや,関係者からの寄稿などについては,後日「アヴァロンズゲート」内で掲載予定とのこと。
最後に,イベントを企画し,司会進行も務めためがぎが氏からメッセージが届いたので,以下に掲載する。
アヴァロンの鍵 20周年トークライブ 所感
今回、当イベントの企画立案、ならびに運営を行わせて頂きました、アヴァロンズゲート管理人(現・アドヴァンスドゲームズ 中の人)めがぎがです。
まずは、無事開催出来て一安心したと共に、開発者やプレイヤーの皆さんとアヴァロンの鍵20周年を迎える事が出来た事に、感謝致します。
また、凄く急ピッチでしたが、このような会を設ける事が出来て、凄く嬉しい限りです。
当イベントは、今年の夏に「20周年を迎えるこの時期だからこそ話せる事があるし、同時に同窓会のように触れ合う機会を設けたい」と思い、企画しました。
まずは開発者の皆様にコンセプトをお話しに行ったところ、丁度同じ認識をお持ちで快諾頂いた後、その後当時のプレイヤーや友人にご協力を頂き企画を進めた結果、当日は会場の最大収容人数迄集まり、様々なトークやネタで、夢のような「アヴァロンナイト(夜)」を迎える事が出来ました。
お越しになった皆さんは、マイデッキだけでなく、お手製のグッズや筐体周りの部品を持ち寄ったりと、アヴァロン愛に詰まった方々ばかりで、司会進行をしながら「このゲーム、今でも稼働しているよね?」と思う程の熱量を感じ取れました。
よくイベント運営は「熱量が大事、勢いも大事」と言われますが、今回は「開催の機会を逃すと、一生後悔する」と思い、また、個人的には当作品にてゲーム関連のイベント運営やお仕事に携わるきっかけを得ましたので、皆さんへの恩返しの意味も込めて開催を行いたいのもありました。
最後に、当企画に多大なるご協力を頂きましたアヴァロンの鍵の開発者の皆さん、お祝いメッセージの寄稿を頂きましたゲーム関係者の皆さん、そして、今でもアヴァロン愛を持っているプレイヤーの皆さんに深く感謝をすると同時に、また近いうちに「同窓会」や「その後」のイベントが出来れば、と考えています。
その時は、吉報が入った直後かもしれませんね…。
まだ見ぬ新展開に期待を持ちつつ、「アヴァロン、最高!!」と叫んで締めたいと思います。
アヴァロンの鍵、今後も楽しんでいきましょう!
ありがとうございました。
めがぎが@あらき
アヴァロンズゲート(2023)
アドヴァンスドゲームズ 公式X(旧Twitter)
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