キリスト教には,守護聖人という存在がある。彼ら(彼女ら)はキリスト教の布教に尽力して殉教を遂げたり,奇跡を起こしたり,といった人物だ。教会では彼らを聖人として認定しており,特定の日にはこれら聖人を崇めるようしている。有名どころでは,以下のような人物がいる。
- 聖女ゲノウェーファ
- 聖セバスティアヌス
- 聖ユリアヌス
- 聖ジョージ
- 聖女ウルスラ
- 聖マルティヌス
- 聖女バルバラ
各人ともキリスト教の布教に尽力した人物で,それぞれ個性的なエピソードが残されている。キリスト教の布教に活躍した人物というと,どうも本コラムでは縁遠いような気がするが,注目したい人物がいる。それが聖ジョージである。聖人というとインテリでおとなしい人物を想像しがちだがは,聖ジョージは軍人出身で,魔法の剣アスカロンを振るってドラゴンを退治した人物とされている。彼の肖像画も,馬にまたがる騎士のような姿で描かれており,非常に勇ましいものだ。今回はこの聖ジョージについて紹介しよう。
Illustration by つるみとしゆき |
聖ジョージは,西暦263年(or 270年)に現トルコ領のカッパドキアで生まれた。17才で皇帝ディオクレティアヌスの兵となり,古代ローマ帝国軍の騎兵,そして将校へと出世していった。やがて皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教の迫害を始めると,聖ジョージは皇帝ディオクレティアヌスを止めようとし,逆に皇帝ディオクレティアヌスは聖ジョージにキリスト教を棄てるようにと迫る。
こうしたことから二人は衝突し,西暦303年4月23日,セント・ジョージは殉教者としてニコメディアで処刑されてしまう。このような最期を遂げた聖ジョージだが,生前の彼にはさまざまなエピソードがあった。とくに注目したいのがドラゴン退治の逸話だろう。
あるとき,聖ジョージがリビアのサレムの町を訪れたときのこと。サレムの町の近くの湖には,いつからかドラゴンが住み着き,町を襲わない交換条件に牛や羊を要求していた。ドラゴンは町の牛や羊を食べ尽くすと,今度は町の娘を生け贄に要求しはじめた。多くの戦士がドラゴンを退治しようと果敢に挑んだが,誰一人として退治できず,何人もの娘が生け贄として捧げられ,やがて王女クレオドリンダの順番になってしまった。このとき,たまたま通りがかったのが聖ジョージで,彼はアスカロンと呼ばれる剣を持ってドラゴンと戦い,見事に打ち倒したという。一説によれば王女と結婚したとの話もある。そして,勇敢に戦う聖ジョージの姿を見た人々は,キリスト教に改宗したといわれている。
ちなみにこの逸話は,聖ジョージはキリスト教を象徴,ドラゴンは異教徒を象徴しており,実はキリスト教の異教徒制圧を象徴しているものとする説もある。そうしたこともあってか,聖ジョージはキリスト教徒にとっては異教徒との戦いのシンボルともされている。
アスカロンについては名前程度の記述しかなく,どういう経緯で聖ジョージが手に入れたのかは不明で非常に残念だ。同じキリスト教関連の武器として,以前に紹介したロランのデュランダルのようなエピソードがあれば面白いのだが……。ちなみにキリスト教ゆかりの聖武器は,聖水によって清められていたり,柄などの中に聖遺物(キリストの毛など)が納められていたりすることが多いので,アスカロンの柄にも何か隠されていて,その聖なる力が聖ジョージを助けてドラゴンを倒したと考えるのが妥当かもしれない。
宗教画などを見ると,聖ジョージは甲冑を着て白馬にまたがり,白地に赤十字の紋章(イングランドの旗)を掲げ,槍や剣を持っている。この姿はファンタジーものでよく見られる騎士像そのものである。さらにイギリスを中心としたキリスト教圏の騎士の叙任式では,聖ジョージの名が登場することもあって,多くの騎士達は聖ジョージの名のもとに騎士としての一歩を踏み出すことになることから,聖ジョージは騎士のルーツ(いや聖騎士か?)といっても良さそうだ。
ドラゴンを倒し,キリスト教を布教し,キリスト教のために殉教した聖ジョージは,"ある意味",最初の騎士であり,毎年4月23日はサンジョルディの日と呼ばれて,敬虔なキリスト教信者から敬われている。