全世界規模で展開された第二次世界大戦を,そのまま再現するストラテジーゲーム「ハーツ オブ アイアンII」で,“ぶっちゃけあり得ない”感じのリプレイを展開する「ハーツ オブ アイアンII 世界ふしぎ大戦!」。今回はここ,中国からお届けします。
1930年代から第二次世界大戦にかけての,中国の政治情勢は,国民党,共産党,日本軍(とその傀儡勢力)の三極構造で成り立っていました。もちろん,日本軍は国民党/共産党共通の敵だったわけですが,事はそう単純ではありません。
1911年に勃発した辛亥革命は,列強の侵略から中国を守れない清朝をあっけなく打倒しましたが,それに続いたのは各地の有力者が勢力争いを続ける,軍閥割拠の時代です。
袁世凱の系譜を引く北洋軍閥政府を倒し,ばらばらになった中国を再度統一すべく,孫文が指導する国民党勢力は広州から北京を目指し,途上の軍閥勢力を糾合しつつ攻め上ります(北伐)。「連ソ容共扶助工農」のスローガンが示すとおり,孫文時代の国民党は共産党と協力関係にありました(第一次国共合作)。
これに対し,北伐を指揮する軍事的実力者にして,孫文の死後その後継者となった蒋介石は,共産党との対決路線を選びます。北伐達成を目前にした1927年,蒋介石は共産党員を排斥する上海クーデターを敢行,ここに第一次国共合作は瓦解し,以後長期にわたる国共内戦に突入します。
国民党軍は1928年には北京から張作霖を追い出し,北伐は一応の完成を見ました。そして,日本軍が東北軍閥の総帥たる張作霖を爆殺(満州某重大事件)したのをきっかけに,東三省を支配する東北軍閥は国民党の傘下に入り,国民党による中国統一事業はいよいよ達成されるかに見えました。
しかし,日本の本格的な介入はこれからです。日本軍は1931年に満州事変を引き起こし,東三省を占領したうえ,清朝の末裔溥儀を担ぎ出して,傀儡国家「満州国」を成立させます。
日本のあからさまな侵略行為に対する国民党の反応は,極めて緩慢なものでした。蒋介石は「安内攘外」,まず共産党を倒して国内をまとめてから外敵の侵略に対抗すべきだ,という路線を標榜します。これは,陰に陽に第二次世界大戦中をも通じてほぼ一貫した,国民党の基本政策となります。
対する共産党は内戦中止を呼びかけつつ,抗日優先の立場を貫きます。この時点での軍事対決はどう考えても不利な共産党が,打ち出した路線としても意識する必要がありますが,国民の間に広がる抗日の機運は,共産党への支持を広げていきます。
1936年に張学良が,蒋介石を監禁して内戦停止と抗日戦への注力を迫った西安事件,それを受けて成立した第二次国共合作の体制で,中国は日中戦争を迎えます。しかしながら,上述のような国民党と共産党の基本的スタンスは,戦争中も変わることがありませんでした。
共産党が勢力を増せば,国民党は来たるべき内戦に備えて抗日戦争に本腰を入れられなくなる。すると,国民の支持が共産党に向かい,ますます共産党の勢力が増す……。日本軍を挟んだ国共対立は,国民党にとってまさに負のスパイラルとなりました。
第二次世界大戦で米英は蒋介石政権を支援し,物資と兵員,軍事顧問を中国に送り込みます。中国に派遣された米軍を指揮するのは,米軍アジア方面司令官のスティルウェル中将でしたが,彼は後に蒋介石と対立し,解任されてしまいます。対立の最大の原因は,蒋介石が抗日戦争に必ずしも積極的でなかったことでした。
スティルウェル中将の後任となったウェーデマイヤー中将が,気の利いた愚痴を連発する回想録「第二次大戦に勝者なし」で語るとおり,アメリカが当時の中国情勢――蒋介石の置かれた立場――を十分に理解していたとは思えません。場当たり的な実利主義と教条主義が,ときに自国の長期的な利益を損なう場合があるという,アメリカ外交の通弊が露呈した例といえるでしょうか。
抗日戦争を勝利で終えた中国では,ほどなく国共内戦が再燃,激戦のすえ共産党が国民党を打ち破り,国民党を台湾へと追いやります。国民党政権を支持していたはずのアメリカは,的確な推移予測と断固たる意思を欠いたまま,積極的な介入の機会を逸してしまいます。その後長らく共産党政権を認めなかったアメリカの外交姿勢からさかのぼって見るならば,これは明らかな失策でした。そしてそのツケを,アメリカは朝鮮戦争において「人民志願軍」という名の共産党軍(中国人民解放軍)と砲火を交える形で,支払うこととなるのです。
ここでクエスチョンです。全体主義(ドイツ・イタリア・日本)打倒の戦列が敷かれても,諸外国の支援が国民党にばかり寄せられるなか,内戦を独力で勝ち抜いた中国共産党の軌跡は,まことにドラマチックなものでした。しかし,もし,張学良が西安事件を起こさなかったら? またもし,ディキシー・ミッションがアメリカと中国共産党の早期の接近を実現していたら? と,さまざまな想定を重ねていったとき,中国共産党が史実に匹敵する鮮やかな勝利を収められる可能性は,いったいどの程度あったのでしょうか?