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奥谷海人のAccess Accepted / 第265回:Project Natal発売を前にMicrosoftに起こった異変
AppleのiPadやGoogleのAndroid,そして販売実績を伸ばしつつあるPlayStation 3などの話題が盛り上がる中,IT業界の巨人Microsoftはどこか静かだ。それどころか,ライバル達が激しい攻勢をかけている最中に,Xbox事業に深く関わってきた二人の重要人物がMicrosoftを退社するという。Project Natalのローンチを前に,同社では何が起きているのだろうか。
これまで,長きにわたってXbox 360事業を支えてきたバック氏(左)とアラード氏(右)がMicrosoftを退職する。ゲーム業界に大きく貢献した二人は,イベントやメディアへの露出の多さで一般にもおなじみの顔。そんな彼らが,時を同じくして退職するわけで,いろいろな憶測が飛ぶのは仕方ないだろう
最近,Microsoftのゲーム関連部門で大きな変化が起きている。5月25日,同社のEntertainment and Devices部門のPresidentで,ここ数年,Xbox 360関連のイベントには必ず顔を見せていたロビー・バック(Robbie Bach)氏が,秋までに退職すると発表されたのだ。今後は,Xbox 360事業を含むInteractive Entertainment Business部門をSenior Vice Presidentのドン ・マトリック(Don Mattrick)氏が,また,Mobile Communications Business部門を同じくアンディ・リー(Andy Lee)氏がそれぞれ担当していくことになるという。
バック氏は,1988年にMicrosoftに入社して以来,「Microsoft Office」などのアプリケーションや「Halo」などのゲームソフトウェアのほか,XboxやWindows Phoneなどのハードウェアを送り出し,最近はProject Natalでも陣頭指揮を執っていた。
彼はまだ50歳であり,退職を考えるにはあまりにも早過ぎる年齢だが,今後は家族との関わりを大切にしていくとともに,彼が以前から役員として関わってきた非営利団体への協力を続けていくつもりだという。
さらに同日,ジェイ・アラード(J Allard)氏の退社も発表された。ソフトウェア技術者として18年前にMicrosoftに入社したアラード氏は,数々の製品を開発すると共に,Xbox事業に当初から深く関係しており,「Xboxの父」とも言われる人物だ。
スキンヘッドにピアスが特徴だが,ドレッドヘアーをかぶった“偽ラッパー”の写真を公開するなど,お堅いイメージのあるMicrosoftの中で自分の個性を前面に出していた印象がある。Chief Experience Officerというユニークな肩書きで,Zuneや未発表のプロジェクトにも関わっていた。
アラード氏の退職については,5月頃から何度か業界のウワサになっていたが,公式には,バック氏の退職を告げる5月25日のプレスリリースに,まるで取って付けたように,アラード氏の退職が簡単に記されていた。
アメリカのIT誌ZDNetは,アラード氏がバック氏や一部のシニアメンバーに宛てたという退職届けのEメールを公開しているが,メールの日付はプレスリリースが発行された5月25日で,時間は朝の8時56分になっている。タイトルは「Decide. Change. Reinvent.」で,「Microsoftは今後も早い意思決定を行い,流れを見失わずに自らを変化させ,新しい人材やアイデアを入れていくことに躊躇してはならない」というアドバイスめいた内容。理路整然とした文章構成は,ある意味,名文といえそうだ。
これによると,アラード氏が退職を決めた理由は,「これまで95%がMicrosoft,5%が自分の人生だった事実を反転させたい」というもので,年内にはMicrosoftのCEOであるスティーブ・バルマー(Steve Ballmer)氏が始める新規プロジェクトへの関与も匂わせており,今後もMicrosoftとの関係を続けていくことをうかがわせる。
また,「(Appleの本社がある)クパティーノや,(Googleの本社がある)マウンテンビューに引っ越すのではない」とヘッドハンティングを否定し,「自分の退職について,椅子を投げられたことはなかった」と記している。「椅子を投げる」というのは,Microsoftのとあるエンジニアが,Googleへの移籍を理由に退社を表明したときに,バルマー氏が椅子を投げつけたという出来事を元ネタにしている。つまり,アラード氏は現在もMicrosoftに忠誠心を持っており,他社から引き抜かれたわけではないと,上司や仲間達に何度も念を押しているわけである。
アメリカのニュースサイトなどで,「149ドルになる」とか「Waveという正式名称だ」というウワサが流れる「Project Natal」。モーションセンサーでプレイヤーの動きや表情を読み取ってゲームが反応するというコンセプトを具現化したもので,E3直前のメディアブリーフィングでは,シルク・ドゥ・ソレイユを招いての大々的な発表も行なわれるようだ
Xbox 360事業や,そのほかさまざまなエンターテイメント関連プロジェクトに関与している重要な二人が,なぜこの時期に相次いでMicrosoftを退職することになったのだろうか。
「家族を大切にする」という言葉は,アメリカでは要職に就く人が引責辞職を求められたときの常套句のようなもので,額面どおりに受け取るのは難しい。とくに,Xbox 360にとって重要なはずのProject Natalのリリースが年内に控えている今,それを直前で投げ出した形になることも不可解な話だ。
客観的に見て,最近のMicrosoftを取り巻く環境は厳しさを増している。FacebookやTwitterといった新興サービスに押されがちなMicrosoftは,ソーシャルネットワークサービスなどの分野で次々に起きつつある“イノベーション”に取り残されている印象が強い。スマートフォンなど携帯デバイスの分野でもAppleやGoogleに苦戦を強いられ,先月は株式の時価総額でAppleに追い抜かれて,長年守ってきた「IT業界一位」の座まで譲り渡すことになってしまった。
日本でも先週5月28日に発売されたばかりのiPadが,ワールドワイドで100万台のセールスを記録したと発表されているが,アラード氏はWindowsを利用した見開き型タブレット,コードネーム「Courier」の責任者でもあった。しかし,この計画はキャンセルされたといわれており,ZDNetの別の記事では,このことに対してアラード氏は非常に立腹したという。MicrosoftがCourierをやっていれば,Appleのここまでの独走は許さなかった,という思いは現在でもあるのかもしれない。
ゲーム部門では,PlayStation 3の激しい追い上げを受けている。PlayStation 3の販売実績は,「Uncharted 2: Among Thieves」や「God of War III」といった独占タイトルの成功により昨年(2009年)後半から2010年にかけて大きく増え,マーケットシェアを31%までに伸ばしている。このリサーチを行ったStrategy Analyticsは,2010年のPlayStation 3のセールスを1400万台ほどとしているのに対し,「Alan Wake」や「Halo: Reach」「Fable III」といったエクスクルーシブタイトル,加えてProject Natalをもってしても,Xbox 360の販売台数は1050万台ほどにとどまると予想している。
Project Natalは,Xbox 360のライフサイクルの延長に大きな影響を与えるデバイスだとされているが,最近のウワサでは,1台149ドル(約1万3500円)と,周辺機器としてはかなり高額になっているようだ。対抗馬となるSony Computer EntertainmentのMoveは,PlayStation Eyeと合わせても100ドル程度と予想されており,これが事実だとすると,価格面ではかなり不利になるだろう。
売れる売れないは,当然ながら価格だけでなく対応するゲームの内容や数に大きく依存しており,そうした具体的な情報は,あと2週間もすれば始まるElectronic Entertainment Expo 2010で明らかになるはずだ。
いずれにせよ,Microsoftが現在,さまざまな分野で強い外圧を感じていることは間違いなく,バック氏とアラード氏の退職がそうした現状と無関係とも考えにくい。
もっとも,創業以来,何度も危機に遭遇しては,そのつどドラスティックな変化を起こして生き延びてきたMicrosoftだけに,このまま手をこまねいているとは思えない。今後,同社をめぐる状況はますます急速に変化していくだろう。
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