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天下統一しないV / 第1回:真田,日本一(零細石高)ノ兵[前編]
「天下統一」。それはシリーズ第一作で僕らに「世の中,どうにもならないこともある」と教えてくれた戦国ストラテジーである。続編の「天下統一II」は,かなり頑張り甲斐のあるゲームになっていたが,それでも最高難度でプレイすると,佐竹家が史実どおり全国6位から這い上がれなかったりする程度にはシビアだった気がする……と,最近どこかで書いたような気もする。
そんなトラウマにも似た良き思い出を持つ私Guevaristaが,ようやく一応の完成を見た「天下統一III」系作品である「天下統一V」に挑む。アップデートパッチが数回当たる前は,正直かなり外交にシビアな状態だったと思うのだが,Ver.1.03で,割と安心して弱小大名プレイが楽しめるようになった印象がある。
壮烈な討ち死にこそが「天下統一」の魅力という意見もあろうかと思うが,最新作「天下統一V」の各シナリオで弱小大名プレイを試みよう。担当大名選択の基準は,極めてシンプル。シナリオ冒頭画面で全大名家を石高(貫高)順にソート(整列)し,石高が最も低い大名家を選ぶ。ちょっとイレギュラーだが初回は第2シナリオ「群雄割拠」(1557年)の最貧大名,真田家に挑戦する。石高はわずか1万石,城は「真田城」(真田庄の中心地ということであろう)一つ。当主はかの有名な真田昌幸ではなくその父幸綱で,昌幸はまだ登場していない。……父さんが長生きしてくれることを祈るばかりである。
とはいえ,さすが知謀の将といわれる真田幸隆だけあって,本人の能力はけっこう高く,おまけに頼りになる叔父御,矢沢薩摩守こと頼綱もいる。ひと暴れするには十分な人材といえよう。
※2008年9月6日 2:30AM頃,本文の記述を修正しました。真田幸綱は,真田幸隆本人であって,息子ではありません。
北信濃(長野県)に位置する真田庄は三方を武田領に囲まれ,そもそも大名家自体,武田家の従属勢力である。第1ターンには武田家から「臣従せよ」というオーダーが来て,これを断るとほぼ即死だ。涙を飲んで臣従するとしよう。AI大名は臣従するとお家がばらばらになるが,プレイヤー大名はそうでないようで一安心である。断って亡国,断らずして亡国ではないため,ちゃんとプレイに入れる。
スタート地点がスタート地点なので,とにかく東,上野国(群馬県)方面にしか進出できない。この頃関東管領上杉憲政はすっかり落ちぶれているらしく,ばらばらになった各地の領主を,農閑期には村の衆まで動員して蹴散らし,岩櫃城,沼田城と力ずくで奪っていくと,だいぶ真田らしい雰囲気になってくる。問題は,その少し先に控える厩橋城と箕輪城だ。どちらも5〜6万石の付属地を持った城だが,箕輪城は関東管領家随一の智将,長野業正が陣取る堅塁。ここが思案のしどころだ。
どちらを先に攻めるか。明らかに厩橋城のほうが楽に見えるからこそ,正解は箕輪城だと思う。というのも,このゲームでは攻城戦になったとき,隣接する城から「後詰め」(解囲軍)を出して寄せ手を撃退できるのだが,このルールが曲者で,出した後詰めが返り討ちに遭うと城方の心が折れて,問答無用で開城してしまう。
上野北部を制圧した真田家は,長野業正の軍勢に対し数で優位に立てる。だが戦は時の運であって,強い人とはなるべく戦うべきではない。そう考えたとき,数の暴力で長野業正に籠城を余儀なくさせ,うっかり後詰めに出てきた長野道安とかいう人を撃破したほうが楽なのだ。さしもの智将/堅塁も,後詰めルールに祟られて終了である。
他大名の成長も速い天下統一シリーズだけに,ここまでは1年以内にやり遂げるのがセオリーだろう。石高は13〜14万石に達するので,西国の大名ならそろそろお家の台所は黒字に転じているはずだ。だが,いかんせん信濃と上野の山間部では,城下にそれほど大きな町場はなく,そこからの収入も少ない。
周りにもう少し食い荒らせる領地があるならば,年に1度の計画フェイズでさっさと「兵農分離」方針に切り替えることによって,やはり黒字にできるものの,厩橋城/箕輪城まで出る頃には,武田家と北条家もがっちり上野国に食い込んでいるはず。いざというとき大兵力を動員できない兵農分離は,まだ危険だろう。
そしてこのあたりから,またしても真田家らしい課題に直面する。上野国北部に盤踞することは,武田・北条・上杉(長尾)という,関東でコワい人ベスト3に囲まれることを意味する。ここをどう泳いでいくかが「表裏比興の者」でおなじみ,真田プレイの醍醐味といってよい。……いやまあ,依然として昌幸は登場していないが。
シナリオ開始時点で,まだ甲相駿三国同盟が結ばれていないこともあって,武田と北条はだいたい上野国で衝突する。その帰趨が,今後真田の取るべき道を決めるのだ。状況別に考えてみよう。
■武田と北条が早期に和平
最悪のケース。武田領に行く手を阻まれるうえ,両大名が軍事同盟(攻守同盟)でも結ぼうものなら,北条領もアンタッチャブルに。戦で疲弊していない北条はそれなりに強く,一進一退を繰り返すうちに,上杉に背中を刺される可能性が高い。
また,弱った真田は武田に見限られがち。上野国北部を堅持して,上杉に先制攻撃を仕掛けるべきか。
■武田が優勢
次に良くないケース。独力で上野国を平定可能になった武田は,早晩真田の上野領を邪魔に思って,戦を仕掛けてくると思うべき。この場合も緊急避難先として越後を切り取るほかないだろう。
■北条が優勢
望ましい展開。上野国はお任せあれとばかりに,北条と全面戦争。当主幸綱と矢沢頼綱のタッグで鉄砲をうまく使えば,北条一勢力くらいは押し返せるはずだ。この場合,上杉がちょっかいを出してきても,城は奪われるままにしておいたほうがよい。上杉の本拠たる春日山城は遠く,上野国中部までは届かないし,大雪が降れば動けない。奪われたぶんは北条から回収すれば帳尻が合うので,北条に加えて上杉とまで「宿敵」関係に陥るのは避けたいところ。
地形こそ箕輪ほど嶮岨ではないものの,Lv20とかいうデカい城だった厩橋城を時間をかけて落とすうち,どうやら今回は北条の優勢が見えてきた。実に好都合である。上野/下野(栃木県)の北条領を近い順に攻略し,やがては武蔵(埼玉県+東京都),相模(神奈川県)を目指すという,きれいな展開に整理できた。背後の敵である上杉のことは……前述のとおり,しばし忘れるのが正解だ。外交の余地がなくなるくらいなら,正直沼田城くらいは,くれてやってもよいと思う。
今作では攻勢正面を限定することが非常に重要である。というのも,武将達はふだんそれぞれの居城にいて,最前線は無人(正確にはその城の守備兵だけ)のことが多いからだ。そうした城に軍勢が押し入ると,手もなく落ちてしまう。敵の軍勢をこちらの軍勢で迎え撃つには,こちらも敵の城に向かって進撃をプロットしておくのが合理的なのだ。
もちろん,前線に武将達を貼り付けておいて,そのまま押していくことも可能にはなっている。しかし試してみれば分かるように,軍勢の「駐留」には莫大な費用がかかる。貧乏大名が成り上がるには,ぜいたくすぎる戦い方なのである。
そうこうするうちに息子の真田昌輝も成人して,家中もだいぶ賑やかになってきた。速やかに北条を切り崩すべく,今回は上総(千葉県中部)あたりで頑張っている千葉家と不戦同盟を結んでみた。もっとも,あとから振り返るにそんなことをしなくても,千葉家は自身の生存と繁栄を賭けて,北条と戦ったような気もする。
ちょっとした小競り合いが元で主従関係が切れた武田家とは,あらためて対等な同盟を結ぶ。これで真田家当面の敵は,遠国の上杉と近国の北条のみに絞られたのである。
いやしかし,武蔵は本当に広大かつ豊かだ。城一つ落としただけで,6万石くらい手に入る。上野国を完全制圧し,武蔵に進出できた頃合いを見計らって,我が家も「兵農分離」策をとる。直轄領から集まってくる当主の兵力があれば,北条勢とも十分に渡り合えるので,そろそろ黒字運営を優先すべきだろう。
正直,実りの秋が来るたびに年貢をまるごと持って行かれ,慌てて各地に矢銭(やぜに。臨時徴税)を申しつけるのはコマンドポイント上よろしくないし,たまたま不作で俸禄が払いきれなければ,配下の武将の忠誠値や兵力にも悪影響が出る。
河越城(川越)を落として安全を確保したタイミングで,大名家本城をここに移転。北条討伐も本番である。同時に真田信綱を厩橋か箕輪の,矢沢の叔父御を金山城の城主に任じて,彼らの直率兵力を増やしつつ,「寄騎編成」で微妙な性能の武将を下に付け,当主に次ぐ第二第三の大兵力を作り出す。大身が3人,残りの有能な小身武将をまとめて一丸にすれば,都合四つの大軍勢が出来る。たとえ北条氏康本人が乗り出して来ようとも,迎え撃つ体制は万全だ。
千葉家,武田家の便乗攻勢もあって,北条家は予想以上にあっけなく武蔵を失陥する。……人の世は非情よのう。真田が下総(千葉県北部から埼玉県)情勢に介入したあたりで,北条家は真鶴岬から安房(千葉県南部)に逐電。鎌倉幕府ゆかりの家名を誇る彼らにはふさわしい道行きだが,そこからのストライクバックはなかった。
かくて信濃の奥地から身を起こした真田家は,100万石を目前にした有力な「戦国大名」になりおおせた。しかし上杉家(いや,正確には長尾家のままなのだが)も着々と勢力を伸ばしており,度重なる講和の試みは不調に終わっている。いつか三国峠を越えて本気で押し寄せてくるかもしれない上杉勢に怯えつつ,続きは次回ということで。
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