連載
【鈴木謙介】「パズルゲームはなぜ楽しいのか」
鈴木謙介 / 社会学者
鈴木謙介の「そこ見るんですか?」 |
反射神経ではなく判断力
この連載,ずいぶんと長い間更新が止まってしまって申し訳ありませんでした。別に遊んでいたわけではないというか,むしろゲームで遊んでいれば原稿を書けたはずなので,いかにゲームをプレイする暇もないほど忙しかったかということなんですが。
ともあれ,そんな今年,とにかくハマったのが「キャサリン」(PlayStation 3 / Xbox 360)でした。「大人のジュブナイル」というコピーが示すように,「結婚」という人生の重要な選択を前に戸惑うアラサー男と,彼をめぐる二人の女性という設定はとても秀逸ですし,登場人物達と交わされる会話も,ゲームというよりはむしろ現実寄り。ゲームの難度とは別に,そのリアリティのせいで,心が折れそうになりました。
しかし,本作の〈ゲーム〉の本体はあくまでアクションパズル。このパズル部分が非常によくできていたのが,ハマった理由です。
キャサリンでは,主人公達が会話したりミニゲームを楽しんだりできるバーと,パズルステージの合間に設けられた攻略のヒントが聞けたりアイテムを買えたりする踊り場以外では,ひたすら「階段を登る」というミッションを達成することが目標になります。
この階段が曲者で,階段を構成するブロックは一つずつしか登れないとか,ブロックの横にぶら下がって移動することはできるとか,乗るとギミックが発動するものがあるとか,様々な特徴を有しています。そのうえ階段は,一定時間が過ぎると下から崩れていくので,ぼやぼやしているとそれだけで主人公は落下して死んでしまいます。
要するにここでは,制限時間内に頂上にたどり着くルートを発見し,そこに到達することが〈ゲーム〉になっているのです。この「ルートを発見する」というところがパズルなのですが,時間制限があるので,のんびり考えてはいられません。それゆえ実際には,正解だと思われるルートを瞬時に判断して登らなければならないのです。
もう30も過ぎると,肉体的な反射神経を要求される場面は減りますし,もともとアクションゲームは得意ではないので,こういう「焦る系」のゲーム,それこそ落ちゲーなんかもあまりやらないのですが,それでもハマったのは,おそらく到達目標が明確かつシンプルで,それを達成するためにはどうすればいいかという合理的な視点でゲームを俯瞰できたからだと思います。
とくに,画面には大まかなマップが表示されているので,失敗したとしてもどこまでは登れたかということは分かるあたりが,うまくプレイヤーを誘導する仕掛けになっていたんじゃないかと。
そもそもパズルはなぜ〈ゲーム〉になるのか
ところで,パズルゲームというのは,そもそも何を〈ゲーム〉にしているのでしょうか。パズルの論理学的,あるいはゲーム的な定義に関する詳細な議論をスキップして説明するなら,「複数の解答があり得る複数の問題すべてを,同時に解ける解を探す遊び」ということになります。
例えばクロスワードパズルやジグソーパズル。個々の単語やピースの場所は,ある程度までは自由に答えられるわけです。しかしすべての解答欄を埋めたり,すべてのピースがはまったりするような答えは一つしかありません。ルービックキューブでも,一面,二面を揃えることはできても,六面全部となるとハードルが高くて,あともうちょっとなのに! という経験をした人も多いのではないでしょうか。
もちろん,解を探すだけでなく,パズルを解くスピードを競うとか,問題の数を増やす(ジグソーパズルであれば,ピースの数を増やす)ことで難度を上げると,ゲームの質は変わります。さらに落ちゲーのように,「4列消す」「連鎖で消す」など,その都度どんな解を目指すのかをプレイヤー自身が設定できるものまで,パズルといってもバリエーションは広いので,一概にこうだという話はできないところもあります。
なのでこの定義はあくまで基本線でしかないのですが,ことアクションパズルに関する限り,その〈ゲーム〉性は「解を探すプロセスにアクションの要素が盛り込まれ,操作ミスなどの可能性が生じる」ことで,基本的なパズルよりも娯楽要素が前面に出たものになっているといえます。アクションとパズルのバランス次第で,その娯楽性も変化しますし,例えばカードゲームのデッキを組むとか,RPGでスキルや装備,パーティーの編成を考えるなんていうのも,見方によってはパズルに含められますよね。
キャサリンの場合,その場その場での登り方は無数にあるわけですが,頂上までたどり着けるルートは限られています。必ずしも一つではないのですが,いかにも引っかかりそうなポイントを細かく見ていけば,制限時間をオーバーしない効率的な登り方はかなり絞られます。
この連載では何度か,ストーリーとシステムがうまく連携しているゲームほど良いゲームであるという評価をしてきました。本作では,ステージの合間の踊り場において,主人公であるヴィンセントが階段登りに挑戦させられているほかのキャラクター達を励まし,彼らと攻略法を考え,なんとかして上に登ろうとする姿が描かれます。また,そこで「登ろう」と彼らが決意する動機も物語が進むにつれて変化するのですが,その変化こそが主人公の「成長」でもあるのです。
パズルのアクション性と,それを促す仕組み,そしてストーリーがうまく絡み合ったことで,アクションが苦手な僕でもハマれる〈ゲーム〉になっていた,ということなのでしょうね。
グラフィックスの向上はパズルを変えるか
もう一つ,じっくり楽しみながら進められた作品に「魔人と失われた王国」(PlayStation 3 / Xbox 360)があります。パートナーである「魔人」に指示を出しながら,パズルになっている遺跡の中を進んでいくこのゲーム,「ICO」を思い出す方もいるかもしれませんが,PlayStation 2版のICOよりも楽しいなあと思っていました(最近,HDリメイクされたPlayStation 3版はプレイしていないのですが)。
その理由は,グラフィックスの美しさにあると思います。通常,最新ハードの高度な描画性能は,ゲーム世界のリアリティを高めるとか,派手な視覚効果を可能にするとか,そういう面で注目されますが,パズル,とくにアクションパズルという観点から見れば,グラフィカルな要素によってパズルの〈ゲーム〉性が変化するというところが重要です。
あまりネタバレをするのもよくないのですが,たとえば比較的序盤の方で出てくるのが,「投石機」を利用する場面です。主人公が石の代わりに投石機に乗り込み,魔人が投石機を操作して主人公を射出するわけですが,どこに向けて主人公を飛ばせばいいのか,主人公を中心とした視点で見ていてもその加減はなかなか分かりません。これは,風景が微細なグラフィックスで描かれているからこそでしょう。
そのほかにも,仕掛けを動かすための電力を,何重ものパズルを解くことで調達するシーンがあるのですが,こちらも,仕組みは何となく分かっていても,ギミックの全体像が分からないので色々と推理を働かせなくてはいけないなど,ビデオゲームならではのハードルが,パズルをより複雑な〈ゲーム〉にしていました。
この二つの例をジグソーパズルに例えてみると,色の違いのはっきりした図柄よりも,海の写真など,同じ色味の部分の多い図柄のほうが難しいとか,そもそもパズルの完成形の絵が分からないとか,そういうことで難易度は上昇するわけですが,アクション的な要素によって,そのハードルが越えられるような仕掛けになっているわけですね。
こうして見ると,アクションパズルの〈ゲーム〉としての面白さは,パズルそのものの難しさ,複雑さだけでなく,「できそうでできない」とか「解き方は分かっているのに実際にやってみると解けない」といった,アクション的な要素によってもたらされることが分かります。両者の難度の組み合わせによって,ゲームバランスや対象プレイヤーが設計できるというあたりも,突っ込んで考えていくと面白そうです。
入力インタフェースとアクションの関係
もう一つ,アクションパズルという〈ゲーム〉の面白さを左右する要素に,アクションをどのような形で情報化するか,つまりインタフェースをどのように設計するかという問題があります。
最近ではニンテンドーDSやニンテンドー3DSのタッチペン,Kinectのようなモーションによる操作など,入力系も多様化しつつあるわけですが,何もこうした,いかにもアクションに使えそうなデバイスだけが,アクションパズルに用いられるわけではありません。
たとえば,iPhoneなどで人気のゲーム,「Angry Birds」の場合を考えてみましょう。この作品は,(ゴムで玉を飛ばすほうの)パチンコの要領でキャラクターを射出し,敵キャラクターにぶつけて倒す,というシンプルなゲームです。
一般的には,このゲームはアクションゲームにくくられるのかもしれませんが,ステージクリアごとにスコアが評価され,最高評価の星三つをもらおうとすると相当細かく狙いを定めないといけないという点,敵キャラクターが氷や木などの,それぞれ特性の異なる障害物に守られている場合があるといった特徴から,パズルとしても考えることができます。実際,Web上には各ステージでの最高評価を獲得したプレイ動画がたくさん上げられているのです。
プレイ動画の著作権的な話にはここでは触れませんが,この作品に関しては,プレイ動画を見ても面白さが削がれる,といったことはあまりない気がします。というのも,物理演算によって動くキャラクターや障害物は,ほとんど同じ角度で当てたように見えてもその都度結果が違うことがままありますし,そもそも画面が小さいので,毎回同じ角度で射出するにも,それなりのコツが必要だったりするのです。
つまりこの点が「解けそうで解けない」というアクションパズルのだいご味を十分に活かした〈ゲーム〉を生む秘密になっているわけです。このことからも分かるように,アクションパズルにおいては,〈ゲーム〉としての面白さと入力系の手段や精細度は独立した要因だと考えられます。
ということは,最新ハードだからといって面白い〈ゲーム〉になるとは限らないし,過去作品を入力系の違うハードに移植すれば,また違った〈ゲーム〉が生まれるかもしれない,ということでもあるのです。
さて,これが12月17日発売のPlayStation Vitaのレビュー記事への布石になるのかどうか。次回をお楽しみに。
■■鈴木謙介(関西学院大学准教授)■■ 社会学者として教鞭を執る傍ら,TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」やNHK教育テレビ「青春リアル」に出演中。つい先日,「SQ“かかわり”の知能指数」をディスカヴァー・トゥエンティワンより上梓した。ちなみに鈴木氏,PlayStation Vitaの本体は予約したものの,どのタイトルを購入するかは当日まで未定とのこと。 |
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(C)ATLUS(C)SEGA All rights reserved.
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Majin and the Forsaken Kingdom (C)2010 NAMCO BANDAI Games Inc.
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