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[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える
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印刷2010/09/02 15:47

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[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える

瀬名秀明氏
画像集#001のサムネイル/[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える
 CEDECの基調講演に,意外と言えば意外な人物が登場した。作家の瀬名秀明氏である。
 瀬名秀明氏とゲームのつながりといえば,氏のデビュー作であり,ゲーム化もされた「パラサイト・イヴ」が思い浮かぶ程度だが,今回の基調講演はそのパラサイト・イヴとはまったく関係ない話。しかし,ホラー作家にしてSF作家でもある瀬名氏ならでは,という講演となった。

重力と遊ぶ,重力で遊ぶ


画像集#002のサムネイル/[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える
話はいきなり宇宙からスタート。壮大だ
 まずそもそも講演のタイトル「ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える」からして疑問符が乱舞する雰囲気で,しかもテーマは「重力」というあたり,もう何がなんだかという事前の印象だったのだが,フタを開けてみるとテーマと語り口は非常にシャープだった。
 瀬名氏はまず「ゲームの本質は,宇宙の基本法則と深く関わっているのではないか?」と語る。宇宙の基本法則,宇宙を統べる力には,重力,磁気力,強い力,弱い力の4つが考えられているが,この中でも人間が日常的に意識する「重力」と,それを感じる「重力感」がゲームに深く関係しているのではないかという仮定である。
 重力で遊ぶゲームというと,なんだか割と限られたものしかないように思えるかもしれない。だが,日本で最もプレイ人口の多いと思われる(広義での)ゲームの一つ「パチンコ」は,まさに重力を用いて遊ぶものだし,「だるま落とし」や「山崩し」のような古典ゲームもまた同様だ。「黒ひげ危機一発」は,「重力に逆らって飛び出す」というギミックをゲームの最大の盛り上がりとして設定していると瀬名氏は語る。

 デジタルなゲームでも重力をメインに据えた作品は一つのジャンルをなしており,「落ち物ゲーム」は文字どおり重力がゲームの大前提になっている。講演では「テトリス」が紹介され,「よりリアルな重力をシミュレートしたテトリス」がいかに違ったゲーム性を生み出すかについて,動画で紹介された。

右は重力感を増しに増したテトリス。これはもうテトリスじゃない,というくらいに変わる
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逆上がり,それは重力との戦い。そう言うと,これもなんだか壮大だ
画像集#005のサムネイル/[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える
 重力と戦うという構図は,日常生活にも延長されると瀬名氏は指摘する。この代表となるのが「逆上がり」で,これはしばしば人間が最初に遭遇する重力との戦いになる。「ここで最初に,人生の挫折を経験する人も多い」とは瀬名氏の言葉である。
 逆上がりをとおして,人間は体の動かし方や重心移動の方法を学び,自分の体を完璧にコントロールすることはできないと知る。そして,その現実を把握しつつ,よりよく身体をコントロールできるようにトレーニングしていくのが「体育」の役割である,というわけだ。

画像集#006のサムネイル/[CEDEC 2010]基調講演:ゲームの知能と小説の感覚 ヒトの宇宙の究極(?)問題を考える
 一方,重力との戦いをエンターテイメントにする例の代表としては,手品の「人体浮遊術」が挙げられる。これは1830年に発表された絵にインスパイアされて開発が始まったとのことで,1867年には「客席から見たところ」一切の支えなしに身体を浮遊させることに成功。1894年には,今の我々がよく見るように,浮遊した身体を大きなフープに通す技術も完成する。

 重力の特徴として,それが非常に日常的であることを瀬名氏は指摘した。重力は日常生活に常につきまとっており,磁石が玩具として子供を惹きつけるのは,つまるところそれが「非日常的な力」であるからにほかならない(最初に述べた4つの力のうち,強い力,弱い力は量子の世界に突入してしまうので実感はほとんど不可能)。
 これに伴い,脳の予測能力も日常の物理法則で培われていく。飛んでくる物体が放物線を描くと予測できるのは,繰り返された経験によるもので,飛翔体が物理法則に反する挙動をすれば人間はそれを奇異に感じるのだ。


身体と知性


 さて,このように人間の予測,いわば常識を支配している重力だが,ここで瀬名氏は小説家らしい発想の展開を行った。例えば地球とは重力の異なる惑星に知的生命体が住んでいた場合,彼らは人類と同じようなチェスや囲碁将棋を楽しんでいるのだろうか? 物を考え,行動することに,重力は関係しているのだろうか?

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 この疑問に対して瀬名氏は,「デカルト=エリザベト往復書簡」を参照した。これは。有名な哲学者であるデカルトと,当時のボヘミア王女エリザベトとの間で交わされた書簡集で,ここでエリザベトは非常に鋭い質問をデカルトに投げかけている(左のスライド)。


 なんだか分かりにくい物言いだが,これを瀬名氏は「例えば『歩こうとする』とき,歩くという行為には実体が伴っている。そして実体は実体に働きかけることで動く。しかし,心に実体がないのであれば,どうやってその実体のない心が,体という実体を動かしているのか?」という疑問であると解説した。
 デカルトはこの問いに対しあまり明確な答えを出せず,そのためこの疑問は彼に誤った判断をさせたし,後年に到るまで彼の研究テーマとなった。「心はどこにあるのか?」という問題は,心によって身体が活動しているという事実によって複雑性を増すのだ。

HAL9000とチェスをする有名なシーン。勝者はHAL9000
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 この「身体と心」の関係は,やがて別の作品でも象徴的に取り上げられることになった。それが「2001年宇宙の旅」だ。
 2001年宇宙の旅に登場する人工知能,HAL9000の身体は宇宙船そのものだ。この人工知能は,果たして人間とコミュニケートできるのだろうか?
 実は,HAL9000は最初,人間型のロボットとして構想されていた。だが原作者のアーサー・C・クラークと監督のスタンリー・キューブリックが討議を重ねるうち,「それではうまくいかない」ことが分かり,宇宙船という形に落ち着いた。その「HAL9000には身体がない(あるいは人間の身体とは決定的に異なっている)」という設定こそが,2001年宇宙の旅を非凡な作品としたと瀬名氏は語る。
 ちなみに,人間的な身体を廃することだけが,独特の違和感を生み出す手法かといえばそうでもなく,その典型例として「THE TURK」が示された。これは欧米で有名になった「チェスを指す人型ロボット」で,非常に強い指し手であったと記録されている。
 THE TURKは,おそらく中に人間が入って(チェス盤を置く大型のテーブルとワンセットだったので,テーブルの中に人が入っていたと推定される),操っていたのだとされているが,この(言ってみれば見世物的な)ロボットが記録に残るほど強い印象を人々に与えたのは,人型であることによってその不気味さが一層強調されたのだと瀬名氏は分析している。

右が有名なチューリングテストの構造。「知能とは何か」という問題を含む,意外と重いテスト
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 ちなみに,瀬名氏の著作の一つ,「デカルトの密室」はこうしたことをモチーフとした作品であるとのこと。デカルトの密室の中では,「逆チューリングテスト」というものが提唱され,実施される。これはつまり,本当の人間らしさとは何なのかを決定するためには,そもそも人間らしいとは何かが分かっている必要があり,そのために「誰が最も機械らしいか」をテストしようという試みだ。
 人工知能が1つ,人間2名が参加したテストは,彼らに対して人間の判定者が質問を行い「どれがAIか」を見抜くという形で行われる。もちろんこのテストは瀬名氏の創作なのだが,作中に出てくる問答のうち「人工知能のもの」とされているのは,「ロープナーコンテスト」というチューリングテストのコンテストに出展された人工知能が残した反応そのままだという。
 講演では,3者の解答がスライドで示されたが,会場の意見は偏りこそ発生したものの,3者いずれにも「AIである」という疑いがかけられた。本当にどれがAIなのかは「デカルトの密室を読んでください」と瀬名氏は言うが,ゲーム制作のプロフェッショナルが集まった会場で,質問と返答のパターンを見て「どれがAIか」の答えが分散するのは,非常に興味深い結果だった。

瀬名氏が小説の中で描いた逆チューリングテスト。さあ,どれがAI? 答えは「デカルトの密室」で
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三次元の知性


 さて,異なる身体を持つ存在が,異なる思考をするのではないかというのは,ある意味で妥当な予測だ。だがこの「異なる思考」は,必ずしも異なる身体性だけに拘束されるものではないことを,瀬名氏は明らかにしていく。

 瀬名氏は,我々は3次元の世界に生きているけれど,実は2次元的に思考しているのではないか,と指摘した。そして,「2次元と3次元で,思考のあり方が違うのではないか」と続ける。

いかにも古い海外SFチックな絵だが,似たような「空に伸びる」未来都市は日本でも描かれた
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 歴史的に見ると,人類にはかつて「未来は重力の束縛から逃れられる」と夢想していた時期があった。空を飛ぶのは二次元的な思考からの離脱であり,重力への挑戦であると考えていたのだ。これは講演で用意されたスライドにもよく現れているが,30年ほど前の「未来都市」の想像図で,車が空を飛んでいたり,不思議なチューブのような道路が都市を巡っていたりしたことを考えると,日本にもしっかり息づいていた思想のように思われる。

 そして実際,空を飛んでみると――瀬名氏は航空機の運転免許を持っており,沖縄やモロッコを飛んでいる――「空の上の知能は,二次元の知能とだいぶ違う」ことを実感するという。
 このことを指摘しているのは瀬名氏だけではなく,「星の王子さま」で有名なサン=テグジュペリは,「空の上の知能」について「飛行機は一個の機械には違いないが,しかしなんという分析の道具だろう!」「飛行機とともに,私たちは直線を知った」など,多くの印象的な言葉を残している。
 サン=テグジュペリの言葉は一見すると詩的すぎてなんだかよく分からないが,「実際に飛ぶとそれを実感する」と瀬名氏は語る。例えば「分析の道具」については,空から地上を見ると,顕微鏡で細胞を観察しているような不思議な感覚に襲われ,人工物であるはずの建物までもが生命体のように見えてくる。また「直線を知る」については,地上ではどんなに直線と思っても結構曲がっていたりアップダウンがあったりする(そういうものが一切ない道路も存在するが,まれだ)。一方,空は本当に「一直線に飛べる」のだ。

モロッコの空を飛んだときの様子。空を飛ぶことが「分析の道具」であるとは,実際に飛ぶことで実感できるという
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ほとんど決められた英語で交信しながら飛ぶことが,一大事になった
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 また,「空を飛ぶと人間の知能は半分になる」という言葉もあるそうだが,瀬名氏は「飛ぶまでは『そんなことあるか』と思っていたが,いざ飛んだら本当だった」と述懐する。
 空の公用語は英語が中心だが,地上であれば簡単に言える英語が,空に上がるとなぜか口が回らないらしい。それは英語のせいかといえば,そうでもなく,「おそらく日本語でも無理だろう」というのが氏の見解だ。
 そのようにして「普通の人間らしい感覚」が空では有効に機能しなくなっていく反面,自分の感覚を飛行機という機械に合わせ,自分が機械になっていくことによって,飛行機との一体感が得られる。そうなると,風を感知したり,旋回の感覚などをつかみやすくなるのである。
 このように,空の上の知能は二次元の知能とは大きく異なっている。身体性の違いがなくとも,知能のあり方は変化しうる,というわけだ。これは個人的な感想だが,いわゆる「理系ミステリ」なるジャンルに火をつけた森博嗣氏も「空を飛ぶ」ことに非常な執着を見せているあたり,やはり「三次元の知能」にはそれだけ人を惹きつけるものがある――そしてそれだけ「違っている」――のかもしれないと思えた。

 ちなみに瀬名氏が飛行機免許を取ったのは,2003年頃に「空を飛ぶ話を書いてくれ」という依頼を受けたからだ。モロッコで飛んだのも,その作品の取材のためだとのことだが,この作品は,2010年9月現在,まだ上梓されていない。


コミュニケーションと重力感


宇宙は無重力なので,「それを取って」が「それを押して」に変化する
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 さて,ここで改めて「重力感」を振り返ってみると,そもそも重力感には「こうなるはずだ」という日常に密接した予測が伴っていることが分かる。そしてその重力感は,身体や空間把握によって変動しうる,ということも語られてきた。
 そのうえで瀬名氏は,「あくまで小説家としての想像」と念押ししつつ,「コミュニケーションと重力感をうまくつなげられないか」「共感するという心の働きを,重力という観点から見直せないか」と提言した。

 脳には「ミラーニューロン」があることが分かっている。筆者が大変いい加減にまとめてみると,「誰かが何かを行ったとき,それを見て,自分もその行動をやっているかのように感じるニューロン」であり,学習などに関与すると考えられている。

三人称で始まった描写が,あっという間に主人公の内面に変わる
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 瀬名氏はこのミラーニューロンで説明されているものを,「体の中の重力感を重ねあわせる」ことで説明できるのではないかと想像している。
 この「重ねあわせる」というのが難解なのだが,瀬名氏は小説を例とし,三人称で始まった描写が,素早く主人公の内面吐露とその内面への同化に移行していくケースを提示している。1行目では完全な他人として主人公を見ていた読者は,3行目にして主人公と「重なって」いるのだ。

 だが,この重ねあわせは,うまくいかないこともある。そこで生じるのが「違和感」で,これは障害や摩擦の原因ともなり,一方で創意工夫と変革の原動力ともなる。
 またこの違和感は,コミュニケーションを円滑に行うにおいても有用だ。
 瀬名氏は,看護職が患者に共感しすぎて「燃え尽きてしまう」現象を例に取り,これは共感という「状態」に完全にはまり込んでしまう(映画のスクリーンで主人公が泣いていると,なんとなく悲しくなる状態)ことが原因であり,自己と他者の違いを認めたうえで相手の気持を推し量る「感情移入」,言葉を換えれば二次元的に相手に重なりあわせ過ぎている感情を,三次元的に俯瞰することで回避が可能であると述べた。

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「未来では重力は変化するのか?」


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 現在,重力感はいろいろな作品において再構築されている。「カリオストロの城」の冒頭,フィアットが疾走するシーンでは,重力を無視することによって冒険が始まる期待感やドライブ感を与えることに成功しているし,一方で非常に優れたCGを用いた映画であっても妙な「軽さ」が出てしまうこともある。また,ワイヤーアクションなどであり得ない重力の動きを実写映画の中に取り込むというケースも珍しくない。

 重力の感覚をCGでいかに演出するかというのは,CEDECでもさまざまな講演でテーマとなっている。我々は目からゲームに入る傾向が強いため,そこにどんな限界と可能性があるのかをもう一度検討することは,面白い結果を生むのではないか――そう瀬名氏は語った。

 最後に,瀬名氏は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」から「重力は関係ない。それとも未来では重力は変化するのか?」というセリフを引用し,これに対し「本当に重力感が変化している可能性がある」と指摘した。
 ゲームの重力感に慣れた子供は,その重力感で生きるかもしれない。重力感が人間の活動に与えうる影響を考えるに,この示唆は,ゲームの持つ可能性がいかに大きくなりうるかということを,瀬名氏ならではの視点で示したものといえるだろう。
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