インタビュー
「究極のFF」や「けいおん!!」の話も飛び出した? 音楽活動20周年を迎えたゲームミュージック界の大御所,伊藤賢治氏にインタビュー
明日9月23日(木)には,音楽活動20周年記念ライブとして「gentle echo meeting 2」の開催が予定されているため,楽しみにしているファンは非常に多いことだろう。
今回4Gamerは,そのライブに先立ち,伊藤氏にインタビューをする機会に恵まれた。この20年を振り返り,作曲家を目指すことになったルーツや,現在のゲーム業界について思うこと,さらには今見ているアニメの話まで,たっぷりとお話を聞いてきたので,その模様をお届けしていこう。
伊藤賢治オフィシャルサイト
最初の夢はシンガーソングライター
小学生で初めてオリジナル曲を披露
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。まず最初に,イトケンさんが作曲家を志した理由からお聞かせいただけますか。
小さな頃からピアノを習っていたこともあり,元々音楽が好きだったんです。それで小学生の頃には,さだまさしやオフコース,チューリップといったシンガーソングライターに憧れるようになって,最初は作曲家というより,シンガーソングライターになりたかったんですよ。でも,次第にシンガーは無理だと思うようになりまして……。
4Gamer:
なぜですか?
伊藤氏:
やはり人前で歌うとなると,恥ずかしさが出てしまうんですよね。あと,作詞にも限界を感じるようになりまして……段々と絞られていった結果,最終的には作曲家に行き着いたんです。
4Gamer:
そういえば以前Twitterで,小学校時代に初めて,作曲した曲を発表会で披露したと書いていましたよね。イトケンさんの音楽性は,そのあたりにルーツがあったりするんでしょうか。
伊藤氏:
きっとそうでしょうね(笑)。そのときも歌物じゃなくてインストでしたから。
4Gamer:
ちなみに,どんな曲だったんでしょうか?
伊藤氏:
2曲あって,今思うと1曲目は完全に「コンドルは飛んでいく」でしたね(笑)。で,2曲目は当時ベートーヴェンが好きだったので,「運命」みたいなイメージの曲でした。
4Gamer:
あえて今聴いてみたいです……(笑)。では,好きな音楽のジャンルは広かったんですね。
伊藤氏:
そうですね。歌謡曲も好きだったし。
4Gamer:
その頃の作曲センスが今でも引き継がれていると思いますか?
伊藤氏:
意外と変わっていないかもしれません。昔からメロディーラインがはっきりした曲が好きですしね。
0%からスタートし,100%を吸収したスクウェア時代
4Gamer:
イトケンさんはなぜ,ゲームミュージックの道に足を踏み入れたのでしょうか。
昔はゲーム自体にそれほど興味がなくて,身も蓋もない言い方をすれば,就職のためだったんです。自分が音楽の専門学校に通っていた頃に,ちょうど「ドラゴンクエストIII」が大ヒットしまして。
そこですぎやまこういちさんが音楽を担当されているということを知って,「ファミコンでこんなに壮大な音楽を表現できるのならば!」と,そっちの道へ進む決心をしました。
4Gamer:
当時のスクウェア(現:スクウェア・エニックス)に入社したのが,1990年のことですよね。そこでなぜスクウェアを選んだのでしょうか?
伊藤氏:
実は色々なゲーム会社を片っ端から受けていたんですが,ことごとく落ちてしまったんですよ。それで自信をなくして,「全部落ちたら音楽の道は諦めよう……」と覚悟したんですが,残り数社というところでスクウェアに受かることができたんです。
4Gamer:
なんと,ギリギリだったんですね……。それからプロとしての活動を始められて,どんな心持ちでしたか?
伊藤氏:
入った当時は全然会社のことを知らなかったんです。ちょうど「ファイナルファンタジーIII」を出すか出さないかという時期だったので,これから伸びる会社だとは薄々感じていたんですけれど,ゲーム業界のこともまったく知らなくて,本当に0からのスタートでした。
当時は社員も30人足らずでしたけど,みんな良い人でしたね。「なんでこんなに面白い会社があるんだ」と思うくらい,みんな野心や希望を持っていました。例えば,「ドラクエには負けない。絶対に勝ってやる!」みたいな。そういう誇りみたいなものをひしひしと感じられる環境でしたね。
そういうふうに0の状態から色々な影響を受けたので,100%純粋にスクウェアの良さを吸収できたなと思います。
4Gamer:
スクウェアに入社して最初に手がけたのが「Sa・Ga2 秘宝伝説」でしたよね。ゲームミュージック初挑戦ということで,やはり苦労はありましたか?
伊藤氏:
若さの勢いとは恐ろしいもので,苦労というのはなかったんですよ。ただ,「学ばなければ」という意識がありました。知識がまったくないので,色々なゲームミュージックを聴いて勉強したんですが,うまくまとめきれなくて。そこで「ドラクエ」「FF」「ウィザードリィ」の三つに絞ったんです。それからずっと,3音の世界で修行してきました。
4Gamer:
ちなみに,イトケンさんはどのようにして曲のイメージを作り出しているのでしょうか。
伊藤氏:
ゲームに限らず,劇伴系はストーリーや世界観,登場人物から曲をイメージしやすいですね。
4Gamer:
では,やはりゲームミュージックを作るときは,最初に設定をひたすら読み込んだりするんですか?
伊藤氏:
そうです。そうすることで,イメージが固まっていき,自分の中でアニメーションができちゃうんですよ。「ロマンシング サ・ガ」だと,脳内でアルベルトやシフがテレビアニメみたいに動いてくれるんです。
4Gamer:
イトケンさんといえば,ロマサガシリーズや聖剣伝説シリーズのイメージが強いですよね。これまで作曲してきた中で,とくに印象に残っている出来事や曲はありますか?
伊藤氏:
やはりどのゲームでも,メインテーマを作るときは「FF」や「ドラクエ」を意識するんですよね。「これに匹敵するものを作らないといけない」みたいな。で,隣には実際に植松さんがいたわけですし,そのプレッシャーは大きかったです。
思い入れのある曲はたくさんありますが,強く印象に残っているのは,やはりゲームボーイ版「聖剣伝説」ですかね。あれを一人で作ったときの達成感は大きかったです。
ハードの進化と共に変わっていったゲームミュージック
そういえば最近では「超次元ゲイム ネプテューヌ」のオープニングテーマを作曲されていましたよね。イトケンさんが手がけてきた中でも,とくに独特の雰囲気を持ったタイトルですが,そもそものきっかけは何だったのでしょう?
伊藤氏:
DystopiaGroundというユニットに参加したのがきっかけで,そこで,のちにネプテューヌのオープニングテーマを歌うことになる,ボーカルのnaoさんと出会ったんです。
彼女曰く,「ゲームミュージックといえば,誰に作ってもらいたいか」というのを考えた結果,僕を選んでくれたようで,とても嬉しかったですね。
4Gamer:
直近では「時空の覇者 Sa・Ga3」のリメイク作,「サガ3時空の覇者 Shadow or Light」で,笹井隆司さんと一緒に作曲を担当されますよね。
伊藤氏:
最初は「リメイク元に関わってないんだけど,本当に俺で良いの?」と,何度もプロデューサーに確認したんですけどね(笑)。でも彼は,「サガと言えばイトケンさんなので」と嬉しいことを言ってくれて,じゃあ今まで以上に頑張らなきゃいかんなと,覚悟を決めました。
4Gamer:
リメイク元では,藤岡千尋さんと笹井隆司さんが音楽を担当されていましたよね。
伊藤氏:
人の作品をアレンジするのって難しいんですよ。元をリスペクトしつつ,それでいて自分らしさも出さなければいけない。だから,前作の「サガ2秘宝伝説 GODDESS OF DESTINY」以上に気を使いましたね。
4Gamer:
イトケンさんは作曲家として,ゲームハードの変遷にダイレクトに関わられてきましたが,ハードが変わると,ゲームミュージックの作り方もやはり大きく変わりますか?
伊藤氏:
変わりますね。同時発音数にはかなり大きく影響されます。そういった意味では,スーパーファミコンの頃が一番作りづらかった。
4Gamer:
できることが少なかったということでしょうか。
伊藤氏:
中途半端だったんです。スーファミは8和音だったんですが,「もう2音,3音あればもっと良いアレンジができるのに!」みたいなことが多くて。むしろ,3和音のゲームボーイのほうが割り切って作れましたね。
4Gamer:
なるほど。そういった例を除いては,基本的にハードの性能が高くなるにつれ,音楽は作りやすくなったという印象ですか?
伊藤氏:
はい,表現度は広がりました。広がった部分での難しさというのもあると思いますが,そこであえてピアノソロみたいな手段を取ることもできるじゃないですか。そういう意味ではやりやすくなりましたね。
崎元仁氏と出会い,独立を決心
フリーとして活動を始める
4Gamer:
スクウェアに11年勤め,独立したのが2001年のことですね。なぜ,フリーになる決心をしたんでしょうか。
だんだんとハードが進化していくにつれて,オーケストラの録音や歌物など,色々とやれることが増えてきたんですよ。それで音楽部署が「スクウェアサウンズ」という形で独立して,我々としてはかなり期待していたんです。
でも実際のところ,当時のスタッフにはスクウェア以外のところで仕事をするノウハウが,ほとんどなかったんですよね。
4Gamer:
期待していたものとは違っていた,ということですか。
伊藤氏:
はい。営業チームもそれなりにはいたんですけど,多分,どうやって仕事をもらってくれば良いのか,分からなかったんでしょうね。「仕事の来る者が正義」という風潮があって,「注文の来ない奴らは実力が足りないんだ」と,決めつけられているような雰囲気を感じていました。
葛藤しましたね。もっと表に出て活躍したいという理想と,現実とのギャップがなかなか埋まらなかったんです。
4Gamer:
焦りもあったんですね。
伊藤氏:
そのギャップを埋めるにはどうしたら良いのかと,さんざん悩みました。当時30歳をちょっと超えていたんですが,もし独立して色々なところで揉まれるにしても,最後のチャンスかなと思っていましたね。
で,その頃にちょうど,スクウェアサウンズに崎元 仁君が入ってきたのですが,彼は自分と同い年なのに,色々なことを知っていたり,経験済みだったりしたんですよ。それで「自分はなんて温室育ちなんだ……」という引け目を感じて,「これは痛い思いをしてでも独立するしかない!」と決心しました。
4Gamer:
独立に関しては崎元さんの影響が大きかったんですねぇ。その後,やはり色々と苦労はありましたか?
伊藤氏:
当時は色々ありましたけどね。でも,今こうして20周年を迎えられる立場にいるということは,やはり良い経験だったんだなと思います。
4Gamer:
2006年には初のオリジナルアルバムをリリースされましたよね。どのようなお気持ちでした?
伊藤氏:
ひとつの節目でしたね。純粋に自分の中にあるものを形にしたオリジナル作品を出すのが夢だったし,ここからまた新しいスタートができると。
4Gamer:
その後「Piece of Wonder」や「RESONATOR」といったユニット活動も行っていますよね。ゲームミュージックを作るのとはまた違った楽しさがあると思います。
伊藤氏:
ゲームミュージックは100%請け負い仕事じゃないですか。そこでも自分のオリジナリティはもちろん出せますけど,やはり注文に応える職人的な部分があるんです。
でも,ソロ活動やユニット活動は,アーティスティックな部分で挑戦できるんですよ。今後はそういうところをどの程度まで実現できるのか,挑んでみたいですね。
- 関連タイトル:
サガ3時空の覇者 Shadow or Light
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