剣と魔法の世界では,「重要な場所」に「番人」がいることが多い。財宝の番人として知られるドラゴンやグリフォンなどをはじめ,ケルベロス,ガーゴイル,ゴーレムなどなど,番人に相当するモンスターの例は枚挙に遑(いとま)がない。
本稿では,少々マイナーな存在ではあるものの,冥界の川の渡し守/番人であるカロン(Charon)について紹介していきたい。
カロンはギリシャ神話に登場する神の眷属で,暗黒の神エレボス(Erebos)と闇の女神ニュクス(Nyx)との間に生まれたとされている。その姿は無愛想な老人であり,主な仕事は冥界に流れる川,ステュクス(Styx)の渡し守である。ギリシャ神話の世界観では,死者はカロンに導かれて川を渡り,冥界へと行くことになるのだ。
カロンが活躍する場所については,ステュクス以外にアケロンという説も見られる。アケロンはステュクスの支流なので,彼の行動範囲はかなり広いのかもしれない。
ちなみに,ステュクスの水は不思議な力(あるいは特別な意味)を持っている。神々は誓言の際にステュクスの水を飲み,もし誓言を破ったときは,(水の力により)1年間仮死状態になるうえ,9年間に渡って神々の住むオリンポス山から追放されたという。
ほかにも,海の女神テティス(Thetis)が息子のアキレウス(Achilleus)に霊力を授けようと,足首をつかんでステュクスに浸すと,アキレウスは不死になったが,足首だけは水に触れなかったので,将来その弱点に悩むことになる。これは「アキレス腱」の語源になった逸話なので,ご存じだという人もいるのではないだろうか。
なお古代ギリシャには,カロンへの船賃が渡せない者は後回しにされ,100年ほど放浪してからようやく冥界に渡れるとの言い伝えがあった。そのため死者の口に,カロンへの船賃として一枚の銅貨を入れる風習が生まれたという。
カロンがゲームに登場することは珍しいが,登場する場合は,川の番人を務めとするNPCであることがほとんどだ。無理やり川を渡るようなことをしなければトラブルは発生しないだろう。
ただし,ひとたび戦闘になると,神の眷属であるカロンはかなりの強敵だ。さまざまな魔法を使いこなすだけでなく,老人の外見からは想像もつかないような怪力を持っているのである。ちなみにゲームでは,「ティル・ナ・ノーグ」や「ヘラクレスの栄光」に登場している。
なお,これは余談だが,日本にもカロンに似た存在がいる。それは仏教に登場する奪衣婆(だつえば)だ。彼女は三途の川の岸辺に立ち,亡者の衣服を剥ぎ取って衣領樹という木に掛ける。すると生前の罪の大きさに応じて枝がしなり,それを元に死後の処遇が決まるのだという。死者は必ず奪衣婆の裁きを受けなければならず,この儀式なくして,死者の世界に足を踏み入れることはできないのだ。
RPGではマイナーなキャラクターであるものの,ギリシャ神話におけるカロン関連のエピソードは,なかなか豊富だ。その中の例として,ここでは生者でありながら,ステュクスを渡ることに成功した人物を紹介しよう。
一人は,ギリシャ神話でおなじみのオルフェウス(Orpheus)だ。彼が,亡くなった妻エウリュディケ(Eurydike)を冥府から連れ戻すために,ステュクスを渡ろうとした。オルフェウスがリラ(竪琴)を奏でながら自分の思いのたけを語ると,カロンはそれに感動して,川を渡ることを許可したという。
また,同じくギリシャ神話の有名人であるヘラクレス(Hercules)も,12の難行でケルベロスを捕獲する際に,ステュクスを渡っている。ヘラクレスはカロンを恫喝し,強引に川を渡ってしまったのだ。なお,このときの失態(?)が冥界の神ハデスに知られ,カロンは1年間にわたって鎖に繋がれたという。
ほかにもアエネアス(Aeneas)は,冥界の女王ペルセポネに貢物(聖なる黄金の小枝)を運ぶという名目を掲げ,カロンから通行許可をもらった。また愛の神エロスの妻プシュケ(Psyche)は,二枚の銅貨を口に入れて往復し,テセウス(Theseus)とペイリトオス(Pirithous)も,生きたままステュクスを渡っている(その方法については不明)。